schopenhauerのブログ

唯識とショーペンハウアーの研究

わたしたちが自分の体と思っているのは体の凝りである

目を閉じて、体を感じてみると


肩は肩こり、首は首のこり


頭は頭の、顔は顔の、目は目の


体全体が体のこりだった。


それは筋肉のこりではなく


自我とつながった感覚のこりだった。


自我がなくなると、体が消えた。