schopenhauerのブログ

唯識とショーペンハウアーの研究

道徳の根拠となり得る直観的意志

無というのは主観と客観が一致したときに起こる。そのとき主観も客観もなくなる。というよりも逆で主観も客観もなくなったときに主観と客観が一致するのである。これは実在論的な見地である。実際は主観はもともと無なのである。なぜなら客観は主観の表象だからである。これが観念論である。


前回に無の知性における直観的真理について述べた。


意志とは人間にとっては多くの場合やはり概念的なものだと思われる。だから意思という言葉があるのだろう。


意思というのは、人間の行為を規定していて、動物的意志の上層にあるものである。


無の知性に直観的真理というものがあったように、無の意思に直観的意思というものが考えられる。


行為と単なる知性は違うものである。だから定言命法というものはあり得ない。あるいは因果によって変わるものであ。行為は因果律に属するもので知性とは無関係だからである。(因果に属するのだから存在の意味<存在論的>ではなく存在そのもののこと<存在的>である。存在の意味も因果においてそのつど変わる)


この直観的意思(意志)というものが道徳の根拠と考えられる。