2019年8月のブログ記事
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ある観念論哲学ではこの世界は三つの【存在するもの、存在者】でできている それは主観、精神、直観でありこれはどうしても分けざるを得ないものであるが というのはこの三つは互いに種と類の関係にはできないのである 以下はこの三つの本質であり、本質とは人間(自分)にとっての主たる性質とか価値とか意味のことで... 続きをみる
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わたしの考え(観念論的?)では人間の文化のすべては、宗教と芸術と学問に分類できるがその定義は <宗教の定義> 〇自分の精神を改善すること (その他はもともと完全) <芸術の定義> 〇表象の鑑賞とあらゆる表象による表現 (基本となる表象は自分の体) <学問の定義> 〇真なる命題の繋がりの... 続きをみる
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からだが触覚ならば 触覚が実在ですから 愛に表面も内面も無いわけで 表面というのは皮膚で 内面というのは心ですが さまざまな体の部分 その皮膚と皮膚の接触が そのままこころの内面と なるのでしょう
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一体に なってしまえば 何もない 無と永遠は 同じなんだよ <哲学的解釈> セックスのときに何もなくなるというのは体は有であるが精神が無ということで 体というのは触覚なのだから触覚のみになってしまい精神が無くなってしまった時の五感は永遠なのだから オルガスムが快感であったとしても終わるということは... 続きをみる
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ショーペンハウアーは因果に二種類あることを明確に区別したし 唯識でもこの二つを区別して論じている ショーペンハウアーの二種の因果は物質現象の因果と動物や人間の動因つまり意志の因果(すなわち精神現象)であり 唯識においては遍計所執性といわれる分別意識や自我(すなわち精神)が依他起性(すなわち因果)と... 続きをみる
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芸術によって自己が慰められたり安らかになったり高められたりしたとしよう このときその力が芸術にあるとするならばそれは実在論と言えよう これに対して自己を救い高めたのは自己自身であるが芸術がそのきっかけであったとするならばこれは観念論であろう 芸術は宇宙の真相を表すものであるが人間の意志においても宗... 続きをみる
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客観が主観に含まれる観念論哲学では これは実在論では主観と客観の一致ということだが オナニーは同性愛の行為に分類されるだろう
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言葉は精神の上層にあって一番目立つのだから 精神は言葉であると言っても人間の場合は間違っていない ただ精神の下層には様々な記憶が膨大に蓄積されている ところで言葉や記憶は実在ではないのだから 精神は自分という存在ではないことになろう 仏教や禅が目指すのはこの自分という存在の探究であって 自分の精神... 続きをみる