schopenhauerのブログ

唯識とショーペンハウアーの研究

2018年1月のブログ記事

  • 野生の鹿に石を投げた禅師

    下北半島の西に行くとそこは山が多くて 野生のニホンザルがいっぱいいる。 ニホンザルは北海道以外の日本のどこにでもいるがこれほどいる地域はないと思う。 津軽海峡は北海道と本州の生物の分岐点で下北半島は本州の生物のふきだまりなのだ。 下北半島には野生の猿にえさを与えないでくださいという看板がよくある。... 続きをみる

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  • 大円鏡智の妙観察智の自分の体

    完全に悟ったということは 煩悩を完全に解消したということですが この人は考えようとしなければ何も考えないのですが 思考のエネルギーは感情だから 感情も完全に解消されているのですから こんな人の大円鏡智の妙観察智の 自分の体はどんなことになるのか知りたいです。

  • 差別と平等の四法界

    四法界の 理法界、事法界、理事無碍法界、事事無碍法界は 理法界は平等の世界 事法界は差別の世界 理事無碍法界は差別と平等が同一の世界 事事無碍法界は差別と差別が同一の世界 と考えることができるのではないだろうか。 因果は差別であり平等は無であり永遠であり事の妙や美だ。 平等の中に差別は歴然とありそ... 続きをみる

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  • 意思の自由について

    意思の自由などというものが無いというのは確かなことで、 これは人間に個性などというものが無いというのと同じことである。 それは人間や動物の動因が因果に支配されているということからくるのだが これは物質の意志には物理法則があるだけで自由が無いというのと同じことなのだ。 だだ物質や生物の因果と精神の因... 続きをみる

  • かまくら

    葉っぱが赤くなってくるとだんだん寒くなってくるなと彼は思った。 こうなると妻との親密な時間が増えてくるのであった。 そしてそれだけでは我慢できなくなってくるとやっと火を起こそうと思う。 火で温まることができるようになると夫婦喧嘩の火種も増えるのであった。 雪が降るようになって氷がはり日中になっても... 続きをみる

  • 実在は感覚である

    前回は形而上学について書いた。 そこで分かることは実在ということについて 知性における実在と感覚における実在の二つあることである。 ところが知性における実在というのは 頭の中にしかないのだからこれは本当の実在ではない。 だからリアルな実在は感覚だけと言えるだろう。 リアルな世界を観念論といい知性で... 続きをみる

  • 形而上学について

    存在論は形而上学であるという考えが西洋哲学の基本にあった。 これは実在が直観の裏に隠れており感覚だけでは欺かれているから 知性でしか捉えられないかもしれないというのである。 これが正しいかどうかはまだ分かっておらず 現在では科学が形而上学を規定する傾向があるが 実際にはこの考えから自然科学が生まれ... 続きをみる

  • 創造力について

    たとえば人類が後10億年生きるとしよう。 その10億年間で様々な芸術や学問が生まれるだろう。 わたしはその10億年で生まれる芸術や学問が どんな人の中にももうすべて存在しているという気がしてならない。 それを見つけ出すのが創造力ではないかと思う。

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  • 今日の世相

    誰も言わないが今の日本はリベラル社会なのだ。 これは伝統文化や人心がかなり変容しているということから分かるだろう。 リベラルというのは統一された文化ではなく 伝統文化に対する部分部分のアンチテーゼなのだから もしリベラルな文化が多くなってしまったとしたらそれはもはや革命である。 だから今、日本が住... 続きをみる