国をより良くしていこうとする政治活動で、保守というのはその民族の文化を大切にしていこうとする傾向であり、革新というのは新しい価値観を取り入れていこうとする傾向である。 国をより良くしていこうとするのだから、国を大切にしようとする気持ちがどちらにも当然ある訳である。 <去年の流行語「日本死ね」って何... 続きをみる
2017年4月のブログ記事
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「はいこれが幸せのありのまま全部です。あなたにあげます」 と宇宙が言ったので受けとった。 その時から私は幸せになった。 でもこの宇宙というのは何よりもわたし自身の体だったのだ。
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ほんとうに望ましいのは世界が存在しないことと私が死んでいることです。 この世界と自分の生の色々なことがらはその次です。 有は無のきまぐれな社交の時間でまぼろしの楽しみと感動がそこにはあります。 悲しみや苦しみはそのまぼろしの代償でしかたがないことなのです。 自我... 続きをみる
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観念論の存在の三つの最高概念とは、存在するものでこれの上位はないと考えられる三つのものの概念で、主観、直観、精神である。 主観は存在する無であり、直観は宇宙や世界で、Xである物自体が五感と内的直観である時間と空間を通して認識されている。直接の直観が自分の体である。精神とは自我や言葉のことである。 ... 続きをみる
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祈りや念ずるというのは主観の宗教的知恵の発動であり緩い瞑想である。瞑想は行であり緩いというのは時間的に短いからである。 信仰というのはこれとは全く別物でというのは行ではないからだが、自分を救ってくれる存在者が存在することが証明されてはいないけれど信じてみるということである。<この存在者が無なる主観... 続きをみる
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存在の分析とは何か?存在とは直観である。直観とは外的直観の表象(世界)と内的直観の時間と空間である。分析は精神の知性の概念の真なる命題(真理)によって論じられる。<概念は表象の表象である> 主観がそれを見ている。 分析の部品が概念でその本質が命題の論理である。この本質が何なのかは明瞭ではないがおそ... 続きをみる
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まずこの世には訳の分からないものが一つだけ存在していて、それは認識できないのかも しれない。それはXである宇宙であって、物自体とも言える。私の体もそれである。ただそれは我々の五つの感覚器官での表象である、身識、眼識、耳識、舌識、鼻識とまったくかけ離れたものではない。例えばわたしの体は、わ... 続きをみる
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わたしはどうしようもない苦しみの中で生きている。 それでも正常を保っているが異常になってしまうとどうしようもない。 強烈な生きる本能を一瞬で遮断してしまう自殺への願望が意思となって渦巻始める。 それは精神の存在そのものが苦しみだからだ。 それは業と言っても煩悩と言っても原罪と言ってもよい。 その永... 続きをみる
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国を愛し、郷土を愛し、国土を愛して 家族を愛し、子供を愛し、人と和して 経験を積み、勉強して、文化を楽しみ よく働いて、金を儲け、旨いものを食べ、生活を楽しみ 体に気を付け、病気になったら病院へ 治らなかったら苦しんで、死んでしまえば、なむあみだぶつ。
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この命題は三段論法の 物自体は認識できない → 体は物である → ゆえに体自体は認識できない からきている。 物と体は存在しており、体は物の種概念、物は体の類概念である。 「物自体は認識できない」はカントの重要な命題でそれは、物は私の表象としてしか認識できないからである。 自分の体は物である。自分... 続きをみる
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空間が素粒子で埋め尽くされているのではないかということはほぼ確かなこととされており、その素粒子の特定が進んでいるがいよいよ時間の素粒子が発見された。 物質でない神や時間や空間がどのようなものなのかということはとても理解しにくいことで、今回時間の素粒子が発見されたことで空間と時間が実在することが証明... 続きをみる