schopenhauerのブログの人気ブログ記事
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青森りんごの彩香
果皮の色はあでやかな紅 あかねと王林が交配 早生で中型 酸味強めの甘さは蜜を含み 甘酸っぱい食味は果汁が豊富 歯触りが良く生はもちろん料理にもむき 希少な品種で隠れた名品と言われている
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善と悪と偽善
自分のために生きるのが悪で 他者のために生きるのが善であり 他者のために生きる振りをするのが偽善である
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不完全さ
不完全な動物というのは奇妙だが 不完全な人間というのは奇妙ではなく当たり前で むしろ完全な人間がいたら奇妙である 動物は完全であって正常だが 人間は不完全なのが正常であって 完全な人間というのが異常なのだろう <これは人間の精神が複雑すぎて間違いばかりしているからだろう>
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芸術における実在論と観念論
芸術によって自己が慰められたり安らかになったり高められたりしたとしよう このときその力が芸術にあるとするならばそれは実在論と言えよう これに対して自己を救い高めたのは自己自身であるが芸術がそのきっかけであったとするならばこれは観念論であろう 芸術は宇宙の真相を表すものであるが人間の意志においても宗... 続きをみる
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詰まるところ
水道の蛇口は凍ると詰まる ゴミや紙がたまると水が詰まる 口が自由でないと言葉が詰まる 便秘も 詰まるところこれは穴
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世界に愛が満ちていれば
世界が愛に満ちていればなどというのは ほんとお節介なことでどうでもいいのです こういう考えというのはほとんど間違いであって あり得ないとか不可能だからというのでもなく 本人が何かしら誤動作をおこしているのです これは自分に愛がないことを世界に反映しているだけなのです ですから自分に愛が灯れば世界に... 続きをみる
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神の哲学 その五 在って有るものとその認識
宇宙は在って有るもので、つまりは存在である。宇宙の認識は人間の心の側にあって存在とは無関係である。 ◎宇宙の存在についてー在って有るものー ㋩存在するものはただ存在しそれは存在なので、人間の認識とは無関係であろう。よって宇宙の全体や全貌は科学の対象とはなり得ない。宇宙は存在なので、宇宙論は存在論で... 続きをみる
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カントについて その1
2024年はカント生誕300年の年でそれを考えるとかなり古い人のように思える。その頃はまだニュートンが生きていた。死んだのが1804年でそう聞くと220年前まで生きていたという事でさほど昔でもない気がする。明治元年が1868年である。 カントは自称で天界のコペルニクス転回を認識にさせたと言われ、そ... 続きをみる
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ブッダの行方 4 精神の因果について ⑴
◉精神の因果についての考え方 自然科学が生命の体を含めて物質や質量の科学であるのに比して、人文科学というのは心や精神の科学である。これらが分けられているのは、互いに原因→結果の脈絡がつかないからでもあろう。これの一番近しいのが、医学と精神医学や心理学の脳と心の関係であるが、脳と心に因果関... 続きをみる
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日本国玉無し憲法記念日
今日は日本国玉無し憲法記念日だ 女性は理解の知恵や、自然で一般的な意志の働きを多く持ち 男性は探求の知恵や、特定される特殊な意志の働きを多く持つ 何もしなければ悪いこともしないという思想が 日本国玉無し憲法にはある 金玉は男性的意志であろう 良いことも悪いことも意志によってなされるが 何もしないと... 続きをみる
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食欲の飢えと性欲の飢え
これは主観的真理なのだが 名誉欲と所有欲は主に精神的な欲望であって 性欲と食欲は共に主に肉体の欲望であるが 性欲と食欲が似ているのはこのためである 性欲の飢えと食欲の飢えは似ており それを満たすのが快楽である 快楽ばかり見るので分からないが 飢えは苦しみである 動物においては 食欲の飢えと性欲の飢... 続きをみる
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神様からのクリスマスプレゼント
今年の神様からのクリスマスプレゼントも 去年と同じで私自身を含めた全宇宙だった あんなに要らないと言っておいたのだが 融通の利かない奴だ 自分の嫌がることは他人にするな と言っているのだが 阿保なのでそこが理解できず 自分の欲することを他人にしなければならない と思っているのだろう
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家畜について
食べ物があって のんびり生きられるので 平和が最高だと思う家畜も 自分にまったく自由がなく いつか他の力によって殺されことを うすうすとは気づいている
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輪廻と転生と業について
輪廻は 生物においての 因果のその奥の 不気味さを表現したもののように感じ 転生は 発がん物質を取らないようにする(意思)と がんにかかりにくくなる(肉体=物質)というようなもので 業というのは 輪廻の業(物質)と転生の業(意思)の 二種類あるのではないかと思う 輪廻転生について... 続きをみる
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主観と精神と直観の本質
ある観念論哲学ではこの世界は三つの【存在するもの、存在者】でできている それは主観、精神、直観でありこれはどうしても分けざるを得ないものであるが というのはこの三つは互いに種と類の関係にはできないのである 以下はこの三つの本質であり、本質とは人間(自分)にとっての主たる性質とか価値とか意味のことで... 続きをみる
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たまごと牛乳と男と女
男と女が恋をしました 男は魚が食べられませんでした 女は肉が食べられませんでした 男と女はベジタリアンになりました 男と女は結婚してたまごと牛乳と末永く幸せに暮らしました
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振り込め詐欺師と妄想者と誠実な阿保
振り込め詐欺師と妄想者と誠実な阿保がおりました 誠実な阿保は自分が阿保だと分かりませんでした 誠実な阿保は振り込め詐欺師と妄想者の言葉をおかしいなと思いながらも 立派で正しいことを言っていると思おうと努力しました 努力しても努力してもなんかおかしいことばかり続きました ある日誠実な阿保は自分が阿保... 続きをみる
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直観と概念 その九 永遠なるものとそれへのあこがれ
願いは叶うことなく理想は空回りし希望は無駄である。 自由も平等も平和も博愛もただの妄想で限られた個人以外に実現することはない。 世界も人間も改善されることなくますます混沌としている。 科学が進歩し幸福は増えてるようでもそれは肉体の不幸を軽減するだけである。 すべてが虚構なのは人間の精神や概念が虚構... 続きをみる
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直観と概念 その四 概念の内的と外的
世界は直観と概念でしかないが概念にも内的と外的がある。 外的な概念とは経験で得られた概念であり内的な概念とは生まれながらに備わっている概念である。 内的な概念とはアプリオリな概念である。 ただ無意識には人類が今まで経験してきた記憶があるはずであり、 それらも個人の経験外にあり我々はそれを持って生ま... 続きをみる
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直観と概念 その三 直観の内的と外的
直観には内的なものと外的なものがある。 外的直観というのは自分の五識である現在の表象のことである。 映像、音声、体の感覚、味、匂いは各目、耳、体、舌、鼻の表象である。 内的直観というのは生まれながら備わっているところのものである。 これが正しいかどうかは議論の余地はあるだろうが、 直観としての時間... 続きをみる
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人生に大切なもの
まずは物質、体も含む世界は物質であるように見えるから その次は時間と空間、その中ですべてが変化していくように見えるから この二つは関係している それから言葉、これは自分が何を考え語るか あと意志、自分が何をするか この二つも関係している そして無、上の四つが無いかのように自由に生きたいから
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あのひと
髪に触れた あのひとは髪に触れた手を感じた 髪に触れた手を感じたあの人を感じた 頬に触れた あのひとは頬に触れた指を感じた 頬に触れた指を感じたあのひとを感じた くちびるに触れた あのひとはくちびるに触れた指を感じた くちびるに触れた指を感じたあのひとを感じた
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意志と表象としての世界とは何か その二
アプリオリな認識はわれわれの経験はそれによってなされるということであり、それに ついて多くの思索がされている。 カントが偉大なのはそれを始めたことと、世界をそれによって洞察したことであり、先駆者に個々の間違いはあって当然である。 アプリオリな認識には、直観についてと概念についてがあって、概念につい... 続きをみる
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指2
キーボードを弾く指がワインのグラスを持っておりました 指がぎこちなく揺れました ワインが指にかかり唇が「拭くものがないわ」と言いました わたしはしかたなくワインを舐めました 小指から薬指 指と指の間は丁寧に 中指人差し指親指 右手から左手へ ぺろぺろぺろとまとわりつくように舐めました
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野生の鹿に石を投げた禅師
下北半島の西に行くとそこは山が多くて 野生のニホンザルがいっぱいいる。 ニホンザルは北海道以外の日本のどこにでもいるがこれほどいる地域はないと思う。 津軽海峡は北海道と本州の生物の分岐点で下北半島は本州の生物のふきだまりなのだ。 下北半島には野生の猿にえさを与えないでくださいという看板がよくある。... 続きをみる
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根拠の四種と直観、精神の関係
根拠の四種というのは学問の根拠のことであるからあくまでも概念のことである。 学問というのは直観(世界)や精神についての知的証明の連なりの蓄積であるから その知的証明の連なりにおいて根拠というものが四種あるということである。 根拠というのは 物質においては原因、時間と空間についてはその直観の純粋数学... 続きをみる
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現代の世相とキリストの愛、仏陀の慈悲
恋愛やかわいい女性は別にして キリストの愛とか仏陀の慈悲について語ったあと ある人が言うには だからわたしにやさしくすべき。 これが現代だ。 愛とか慈悲には 自分が他者にやさしくすること以外の意味はない。
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愛
二人が愛し合うことで 生まれてきたこの世界が どんなに美しく素晴らしいか感じられれば それが現実であると納得され 悩みも世界も命も愛さえ 仮のすがたであることがわかるだろう
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酒を4合飲んで4時間坐禅をした。
だんだん深まっていった。酔いが。 頂点に達した。 絶頂が続く。酩酊。 絶頂が終わり始める。 だんだん覚めていく。 完全に覚醒した。 酒を飲んで坐禅するときは部屋を暖かくすべきだ。
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唯識の観察、唯識の実験
唯識の実験は、「実在は観念か?物質か?」を確かめるものである。 世界は、原子でできているか?種子でできているかということである。 宇宙が実在論的であれば、宇宙は物質(原子)できており、観念論的であれば観念的なもの(種子)でできているだろう。 これは、実在論的科学では宇宙は物質、原子でできているとい... 続きをみる
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神の哲学 その二 神の概略
〇自然宗教について 自然宗教の神々は世界や自然への驚きや畏怖が神格化されたものだろう。世界や自然には部族や自分が含まれる。多様な宇宙の神秘が神格化の元にある。宇宙は一ではなく多なので、当然神は一人ではない。後に神格化された神々の解釈がその風土の中で展開されたのであろう。 〇一神教について 一神教は... 続きをみる
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ブッダの行方 番外編 最初の公案 その主観と客観
◎これを書く意図は、禅について、西洋的な主観と客観からどのように理解できるか或いはできないかと言う事と、このブログの基本であるショーペンハウアーの主観と客観の理論的洞察が、勿論二つには何の繋がりもないのだが、禅の実践に応用されているかのようだという常々感じる驚きにある。つまりはこれは理論の証明とい... 続きをみる
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臨済禅と曹洞禅について
ー前書ー 自然科学や社会科学はともかく、人文科学を客観的に捉えるというのはかなり見解が偏ってしまうと思う。これは医療から主観が排除されてしまうのと似ている。 わたしは専門家ではないので、客観的公平に偏らず主観的に臨済禅と曹洞禅ついて日頃思っていることを書いてみたい。 臨済禅は看話禅、曹洞禅は黙照禅... 続きをみる
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ブロックニツイテ
→キラワレタ→アキラメルシカナイ ブロック →ハッキリシナイ↕ムゲンループ →コウギイシ→アキラメルコトナイ
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「根拠律の四つの根について」が生まれるまで
世界が主観によって規定されていると考えたときに、人間の何故?という疑問 の根拠律によって宇宙の謎が出現する。 それが以下の物質の謎、思考の謎、時空の謎、意志の謎である。 これ以前は、物質の原因と思考の根拠の、その充足根拠律として、明確な 区別がつかずにあやふやに混濁しているのが人類だった。 物質の... 続きをみる
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日本を戦争のできる国にしよう
日本を戦争のできる国にしよう!! 戦争ができない国だから人間も教育も制度も全部嘘だらけ 国家主権と戦争ができる国というのは同じことでこれが普通の国 戦争ができるが戦争はしないというのが大事なのだ さあ日本を戦争のできる国にしよう!! 日本の軍備を増強しよう!! 日本が軍備を増強できなかったのはアメ... 続きをみる
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㊂㊁文化において実在論的と観念論的は混じっている
㊂㊀で、ここでは、実在論と観念論という哲学についてでなく、個の人間、及びその集まりである社会の文化について、実在論的なもの、観念論的なものを、考察するということを述べた。 簡単にするため、方法として十分ではないだろうが、一つの本質的だと思われる仮定に沿うことも述べた。それは 世界の成り立ちが、実在... 続きをみる
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太郎と花子の会話
太郎は花子に、「女は男より長生きなんだからあと六年考える時間があるんだよね」と言いました。 その前に花子は、「やっぱり止めることにするわ」と言いました。 その前に太郎は、「人生は短いんだから悩んでいる暇はないよ」と言いました。 太郎は花子にプロポーズしていたのです。
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㊁観念論哲学体系について
このブログはわたしの考える哲学体系というものの単なる構想に基づいて書かれている。 哲学体系は、認識論、存在論、それに基づく様々な評論からなるが、評論は任意で良い。 哲学であるから、どうしても形而上学的な命題から導かれる命題がでてくるが、科学的を目指すのだから、その命題は既存の科学によって説明される... 続きをみる
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㊂㊀文化において実在論的と観念論的は混じっている
実在論は世界という客観の中に自分がいるという実在感とその思想であり、観念論は客観的な世界はすべて主観が反映しているというちょっと常識から離れているような実在感とその思想である。 ただ人間が素朴実在論の世界にいると思っているというのと、素朴実在論がおかしいというのもこれは常識である。例えば視覚の対象... 続きをみる
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㊀このブログはなんなのか?
わたしのブログの少ない読者でよくわからないのだがという人のために、ここでは何が問題となり前提となっているかを説明してみよう。 このブログは一つの試みとして観念論の立場からの世界観を提示しているものである。 観念論の反対が実在論だがこれのほうが常識である。 この二つは論で終わらなければ実在が観念論的... 続きをみる
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文化の起源のようなもの
ホモ・サピエンスは突然生まれ出てきて増殖したのだろうが、それまでの人類の精神的な遺産は受け継いでいることだろう。 そしてそれまでの人類よりも知性において優れていた。感性においては同じだったように思える。<高等動物は固有名詞を理解できる。それまでの人類には犬などの普遍名詞や単純な抽象概念があった。新... 続きをみる
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数学と言葉
宇宙を数学で、人間を言葉で、 捉えるのは可能だが、 数学から宇宙を、言葉から人間を、 捉えるのは不可能に近いだろう。 なぜなら、 宇宙や人間は実在する十全な外的直観で、 数学や言葉は概念や論理や内的直観形式なのだから。
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かあちゃんのうだ(ほんやぐ)
かあちゃんがよなべをすて てぶぐろあんでくれだ こがらすふいじゃつめだがろうで せっせどあんだだよ ふるさどのたよりがとどぐ いろりのぬおいがすた かあちゃんがあさいどつむぐ いづぬづつぐむ おどうはどまでわらうづすごど おまえもがんばれや ふるさどのふゆはさみすい せめでラズオきがせだい かあち... 続きをみる
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時間と空間が実在していると言うとき 2
時間と空間が実在しているというとき何が実在しているのか と哲学者がつぶやいた 宇宙が光となって 相対速度による質量の変化と哲学者の幻覚と妄想が存在している と答えた
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今年のプレゼントは来年のプレゼント
わたしと彩夏の愛は長く続いていた もう数年付き合っていて互いに結婚を躊躇していた そこにはさまざまな理由があった わたしは色々考えたすえ結婚を申し込んでいた 今年もクリスマスの時期がやってきて彩夏のプレゼントを楽しみにしていた 今年のプレゼントは一枚の紙きれにこう書かれていた 「来年のクリスマスプ... 続きをみる
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クリスマスプレゼント
1)メンタル断捨離サンタクロース 物が有り過ぎてもう何もいらないという人が増えました サンタクロース協会は断捨離サンタクロースを作ろうと思いました サンタクロースやとなかいの仕事の励みにはプレゼントが減っていくことがありました 運ぶ物が増えていくことの苦しみを考慮し人道的、動物愛護的にそれは断念し... 続きをみる
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神を見ました
それは言葉で表現できますが概念でないので 言葉で表現されたものではありません それは映像や音で表現できますが感性的なものでないので 映像や音ではありません しいて申せばそれは自我や感情を概念とし 世界を感性な現象としたときに それらを同時に映している鏡の方です
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女性のヘアヌードから同性愛まで
女性のヘアヌードが解禁されてからしばらくすると、 それは性欲よりもむしろ美の範疇になって、 下着で隠してもらう方が良くなりました。 女性の性器は隠れておりそれは、 毛髪と大した違いはなかったのです。 それに比べて男性器はもろに露出しており、 こっちの方がよっぽど興奮します。 オナニーしない人はあま... 続きをみる
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紅葉の色
赤と茶色と黄色のあいだ 紅葉の色は色々 りんごも柿も紅葉して りんごは赤で柿は黄色 りんごの赤はりんご色 柿の黄色は柿色 紅葉の色も紅葉色
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ただのばか
日本人は政治的にはただのばか 政治家の大半はだだのばか 官僚の大半もだだのばか マスコミもただのばか 経済界もただのばか 教育界もただのばか 本来の意味のデュープス 説得力あるわ これが科学的に一番正しいと思うわ
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宇宙の法則
宇宙は一つの質量であった だから宇宙が法則で出来たのではなく 宇宙がまず何かしらの法則を作り出してから しばらくそれで行こうと決めたのであった 人間がこれをどう捉えるかというのは また別の問題である
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宗教と芸術と学問の定義
わたしの考え(観念論的?)では人間の文化のすべては、宗教と芸術と学問に分類できるがその定義は <宗教の定義> 〇自分の精神を改善すること (その他はもともと完全) <芸術の定義> 〇表象の鑑賞とあらゆる表象による表現 (基本となる表象は自分の体) <学問の定義> 〇真なる命題の繋がりの... 続きをみる
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愛の表面と内面
からだが触覚ならば 触覚が実在ですから 愛に表面も内面も無いわけで 表面というのは皮膚で 内面というのは心ですが さまざまな体の部分 その皮膚と皮膚の接触が そのままこころの内面と なるのでしょう
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セックス肌と肌の触れ合い
一体に なってしまえば 何もない 無と永遠は 同じなんだよ <哲学的解釈> セックスのときに何もなくなるというのは体は有であるが精神が無ということで 体というのは触覚なのだから触覚のみになってしまい精神が無くなってしまった時の五感は永遠なのだから オルガスムが快感であったとしても終わるということは... 続きをみる
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自分という存在について
言葉は精神の上層にあって一番目立つのだから 精神は言葉であると言っても人間の場合は間違っていない ただ精神の下層には様々な記憶が膨大に蓄積されている ところで言葉や記憶は実在ではないのだから 精神は自分という存在ではないことになろう 仏教や禅が目指すのはこの自分という存在の探究であって 自分の精神... 続きをみる
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太郎の夢
太郎は夢を覚えていることはなかった しかし太郎は毎晩夢を見ていた その夢は大葉の葉が さらさらさらさら降っているだけだった
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今年も会えないおりひめとひこぼし
おりひめとひこぼしは今年も会えなかったのです もっとも一度も会ったことはなく出会いはスマホだけなのです スマホではいつでも会えます、間接的に ひこぼしは望遠鏡でおりひめを直接眺めることがあります おりひめは純白の星でひこぼしにはそれがウエディングドレスのように思えるのでした おりひめはわずかに変光... 続きをみる
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鏡に映る人
誰でも意識しない時が 一番美しいのだから 本当の自分は鏡に映る自分より もっと美しいのかもしれない そして意識すればするほど醜くなっていく可能性がある そこで本当の自分を鏡で見るための方法は 鏡に映る人を他者の一人と見ることだと思う
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さくら散る
また一年 死が近づいて さくら散る 生まれる前が 元のすがたよ
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さくら
愛が散ってさくらが咲いた さくらはまもなく散るだろう 世界はいつもそこにあって一年たってさくらがまた咲くだろう でも世界がいつもそこにあっても愛がまた咲くことはないだろう
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バッハやベートーベン
バッハやベートーベンは素晴らしいのだろうが それよりも素晴らしいのがわたしの耳だ なにしろわたしの耳がなければバッハやベートーベンは意味がない そしてバッハやベートーベンに不満なのがその音楽が人工的なことだ それに比べれば水や風の音や動物の鳴き声のほうが自然ではるかに見事にわたしは感ずる それは人... 続きをみる
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肉体的な苦しみと精神的な苦しみ
肉体的な苦しみと精神的な苦しみを分けて考えると便利である 肉体的な苦しみから精神的な苦しみが生まれてきて 精神的な苦しみが肉体的な苦しみを増大させるということがあっても この二つは実質的に全く無関係と考えてもよいのではないかと思う 類型が違っており没交渉であり生物としての動物と植物ほど違ういうより... 続きをみる
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精神改造の因果について その一 悟りの原因は意志の否定ではない
ショーペンハウアーの価値はその著作を読むことにあるのだが、彼の哲学のまとめたものはやはり「意志と表象としての世界」でありその前として「根拠律の四つの根について」でありその後ろとして「意志と表象としての世界 続編」であろう。 「意志と表象としての世界」は四つの考察に別れ、最初の二つは「表象としてのこ... 続きをみる
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今年の抱負
今年こそは年末には 大掃除をしたいと思います と去年も言ったかもしれない 生きていればだが でも生きているか死んでいるかにすれば 掃除なんてどうでもいいかも