schopenhauerのブログ

唯識とショーペンハウアーの研究

唯識の三性説と自分の体

自分の体は直接の宇宙であり観察材料としては最も身近なものである。


唯識というのは宇宙は


五識(自分の現在の目に映るもの、自分の現在の耳に聞こえるもの、自分の現在の触覚に感ずるもの、自分の現在の鼻の匂い、自分の現在の舌の味)と


自分の現在の意識、マナ識、アラヤ識(意識は普通の意識、マナ識は無意識、アラヤ識はそれらの原因となるもの)から


観念として成るということだが   (五識は直観、意識意識下は概念や記憶)


これは頭で考えられただけのものでなく体験されたことである。つまり科学的である。


ここで自分の体が他の宇宙と何が特に違うかと言えばそれは触覚だけの宇宙であるということだ。体は触覚の表象ということである。それは病気のときは痛み、健康な時は体感である。


三性説とは宇宙をその様態から説いたもので


依他起性(自性として因果している表象である五識)遍計所執性(意識、マナ識を通して映る表象である五識)円成実性(意識、マナ識が滅した表象である五識)の三つで


実際には意識も変わるが(意識が変わるからこうなる)


円成実性が涅槃の宇宙である。


そこで自分の体という触覚の宇宙がそれは依他起性でもあるが、涅槃となったとき遍計所執性から円成実性に変わるのだから自分の体のその感覚は当然変化するだろう。