実在は感覚である
前回は形而上学について書いた。
そこで分かることは実在ということについて
知性における実在と感覚における実在の二つあることである。
ところが知性における実在というのは
頭の中にしかないのだからこれは本当の実在ではない。
だからリアルな実在は感覚だけと言えるだろう。
リアルな世界を観念論といい知性で作り上げた観念的な実在を
実在論といっているのだから人類の文化が混乱しているのも無理はない。
ただこれは動物時代から騙されていると思われる。
動物の知性にすでに物質(色)という漠然とした概念があるのだろう。
ただ実在が感覚であるということは人間にとっての実在であって
世界や宇宙や物質そのものの実在ではないのではないかということは考えられる。
これが感覚は欺かれているかもしれないということだろう。
同じ女性でも美人に見えるときとぶすに見えるときがある。これは感覚ではなく感情がからんでくるのだ。感情がなければ美しい女性は常に美しいだろうというよりも美醜はないだろう。
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。