schopenhauerのブログ

唯識とショーペンハウアーの研究

形而上学について

存在論は形而上学であるという考えが西洋哲学の基本にあった。


これは実在が直観の裏に隠れており感覚だけでは欺かれているから


知性でしか捉えられないかもしれないというのである。


これが正しいかどうかはまだ分かっておらず


現在では科学が形而上学を規定する傾向があるが


実際にはこの考えから自然科学が生まれたのである。


原子論は形而上学であったが現在は化学の基礎である。


形而上学と科学の仮説の違いは何か?何もないのである。


科学や哲学における形而上学批判は独断論の批判という意味しかないだろう。


また仏教における形而上学批判は


涅槃の獲得(修行、動因の改善)において形而上学は必要ないという意味である。


また実在が感覚だけで捉えられるならば涅槃や芸術がそれであるということになろう。