自分という存在について
言葉は精神の上層にあって一番目立つのだから
精神は言葉であると言っても人間の場合は間違っていない
ただ精神の下層には様々な記憶が膨大に蓄積されている
ところで言葉や記憶は実在ではないのだから
精神は自分という存在ではないことになろう
仏教や禅が目指すのはこの自分という存在の探究であって
自分の精神の探究ではないとわたしは考える
そしてこれは哲学として真理だとわたしは思っている
言葉は精神の上層にあって一番目立つのだから
精神は言葉であると言っても人間の場合は間違っていない
ただ精神の下層には様々な記憶が膨大に蓄積されている
ところで言葉や記憶は実在ではないのだから
精神は自分という存在ではないことになろう
仏教や禅が目指すのはこの自分という存在の探究であって
自分の精神の探究ではないとわたしは考える
そしてこれは哲学として真理だとわたしは思っている
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