schopenhauerのブログ

唯識とショーペンハウアーの研究

自分という存在について

言葉は精神の上層にあって一番目立つのだから


精神は言葉であると言っても人間の場合は間違っていない


ただ精神の下層には様々な記憶が膨大に蓄積されている


ところで言葉や記憶は実在ではないのだから


精神は自分という存在ではないことになろう


仏教や禅が目指すのはこの自分という存在の探究であって


自分の精神の探究ではないとわたしは考える


そしてこれは哲学として真理だとわたしは思っている