schopenhauerのブログ

唯識とショーペンハウアーの研究

完全な観念論の存在の分析(試論)その2

存在の分析とは何か?存在とは直観である。直観とは外的直観の表象(世界)と内的直観の時間と空間である。分析は精神の知性の概念の真なる命題(真理)によって論じられる。<概念は表象の表象である>


主観がそれを見ている。


分析の部品が概念でその本質が命題の論理である。この本質が何なのかは明瞭ではないがおそらく存在者の概念の分類と命題の真偽の判断である。


命題は分析命題と総合命題の二つがあり命題自身で真偽の判断を下しているのが分析命題である。


総合命題の真偽の判断はア・プリオリであってもア・ポステリオリであっても主観が直観的に下すものである。だからア・ポステリオリな科学の命題も実はア・プリオリなのではないかと疑われるのである。


また分析命題が真なのはア・プリオリに真なのであるから、命題というのはすべて
主観のア・プリオリな判断とも言える。


であるから真なる命題(真理)はすべて主観の直観的真理であるという仮説が成り立つ。これは真理はすべて直観的真理であり直観的真理は主観のア・プリオリな判断ではないかということである。


ところで言葉とは観念以外の何物でもないのだから学問は観念以外の何物でもないとわたしは思う。<唯物論も観念でできている>また直観が観念であればもちろん芸術も観念なのである。