schopenhauerのブログ

唯識とショーペンハウアーの研究

神とサイコキネシス

主観は内的神である。


古代ヤダヤ人の悲劇からの願望、脳内概念の全知全能からいえば主観は全能ではないが全知である。


全能というのは因果が全能ということだが全知とは精神が全知ということであり、主観は精神に対して全能なのである。


主観や因果(直観の本質)は精神に働きかけるが精神は因果に働きかけることができない。


よって念や祈りや信仰で因果はどうすることもできない。


ただ祈りが人間の精神の意思に働きかけその人間が行動するときにのみ因果が動くように見えるのである。


(念じることや祈りと信仰の違いについては後に論じられる)


精神が因果に働くことができるというのがサイコキネシス(念力)だが、これはまったくあり得ないことである。