schopenhauerのブログ

唯識とショーペンハウアーの研究

完全な観念論の存在の分析(試論)その1

まずこの世には訳の分からないものが一つだけ存在していて、それは認識できないのかも      しれない。それはXである宇宙であって、物自体とも言える。私の体もそれである。ただそれは我々の五つの感覚器官での表象である、身識、眼識、耳識、舌識、鼻識とまったくかけ離れたものではない。例えばわたしの体は、わたしの身識であって、わたしの体そのものではないが、まったく違う物とも言えない。鏡に映ったわたしはわたしの眼識であるが、その映像はわたしとまったく違うとは言えない。


このXが認識できる可能性もあり、その場合、涅槃=物自体の認識と言えるだろうが、おそらくそうではないだろう。


実在論の自然科学は、このXを外から研究していて、その学問は宇宙が消滅すると言われている数百億年後においても完成することはない。


完全な観念論の科学は、このXを内から研究する。実在が観念的なものというのはまず間違いない。だからその知的解釈である学問においてもこちらのほうが真理に近いと私は思う。