schopenhauerのブログ

唯識とショーペンハウアーの研究

真理と真実の区別について

真理というのには二種類あって


ありのままの現実と正しい言葉のことである


真理というのは正確には正しい言葉のことであり


正しい言葉というのは命題が真、主語についての述語が正しいということであり


その述語の正しさの証拠を根拠といい科学というのはその根拠を直観に限ることをいう


学問はその命題自体が真理として次の命題の根拠となって続いていく


そして真理に対して世界のありのままの現実は真実というべきである


科学の根拠も真実でありもちろん社会科学も思想にはよらずにそうであるはずである


私見では一七条の憲法のほうが日本国憲法より科学的である


直観とはイコール五つの感覚の触覚、映像、音、臭い、味のことであり


真実とは直観のありのままであるし


真理というのは精神の言葉の正しさであるし


真実というのは一つであるが


これが違って感覚されることがありそれを仮象とか錯覚という


真理というのは事象の真実については必ずただ一つだけであるが


事象の意味や本質や価値については立場によって違う場合がある


意味が真理となり得ても真実とはなり得ないからである


真理がまったく出鱈目で間違っている場合は誤謬とか嘘という


この二種類、真理と真実を取り違えると様々な混乱がおきる


たとえば歴史の真実とその解釈の真理をごっちゃにして論じたり


哲学上精神が事象の根拠となり得るとかの言霊信仰を言い出す(存在論的証明)


これは人類の幼さといってよく


西洋哲学でも一般的には明確な区別がされておらず


仏教哲学でも認識について直観と言葉の区別がされていない


神は直観であり哲学上精神や言葉のロゴスである訳がない


悟りつまり諸法実相の実法は直観の真実のことであり


釈尊の教法は言葉の真理である


芸術は直観の真実であり学問というのは精神の言葉の真理である


これが問題になるのは


おそらく人間には真実の一部しか見えないのであり


言っていることや考えていることの多くが出鱈目で真理でないからである