schopenhauerのブログ

唯識とショーペンハウアーの研究

2016年12月のブログ記事

  • 戻るをクリック因果律の対象と数学の対象

    因果律の対象というのは物質(表象、五識)である。物質の根拠律が因果律である。 数学の対象というのは時間と空間である。時間と空間の根拠律が数学である。数学は現在すごく複雑になっていて、論理的な学問に見えるのは概念が際限なくからんでいるからだろう。 五識は外的直観であり時間と空間は内的直観である。 因... 続きをみる

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  • 酒を4合飲んで4時間坐禅をした。

    だんだん深まっていった。酔いが。 頂点に達した。 絶頂が続く。酩酊。 絶頂が終わり始める。 だんだん覚めていく。 完全に覚醒した。 酒を飲んで坐禅するときは部屋を暖かくすべきだ。

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  • 試しに悟りをニユーロンのつながりで説明してみる

    客観的な真理が無味乾燥なのは、それが自分の実在と無関係だからである。 それが技術に生まれ変わって自分を助けることが、根本的な幸せにならないことは、現在の世界が証明している。 でも客観的な真理が、主観的な技術について気づかせてくれるということはあり得る。 主観的な技術とは坐禅である。 ニューロンのつ... 続きをみる

  • 一人暮らしの夏の後悔

    一人暮らしをして一年すぎた。素晴らしい。自由だ。楽しい。 ただこの夏、買った野菜の半分を腐らせた。 金銭の得失はどうでもいいが、腐った野菜からこばえが湧いて いつも二十のしみが楽しそうに飛んでいた。 そこでカット野菜の導入に踏み切った。ほうれん草は冷凍だ。もちろん日本産。 洗わなくていいので楽だ。

  • 道徳の根拠となり得る直観的意志

    無というのは主観と客観が一致したときに起こる。そのとき主観も客観もなくなる。というよりも逆で主観も客観もなくなったときに主観と客観が一致するのである。これは実在論的な見地である。実際は主観はもともと無なのである。なぜなら客観は主観の表象だからである。これが観念論である。 前回に無の知性における直観... 続きをみる

  • 悟りの知性において直観的真理というものが主張できる

    分析命題というのは、命題自身の中にすでに真理が含まれているものである。 「純粋知性批判」は、科学的真理とは何か?を追及した結果生まれた書物であるが、科学的命題の中に、経験的(アポステリオリ)な総合命題のほかに、純粋(アプリオリ)な真なる総合命題があることを発見したものである。 直観的真理というのは... 続きをみる

  • 四つの根拠律の対象と目覚める前の人生

    唯一存在する無は因果と時空と意志と言葉を与えられている。 世界から与えられてくるそれらは真と偽が混じりあっていて幸せと不幸を体験させるが 偽にもそれなりの必然と意味がある。 人間の自我は感情でありその偽から与えられてくる意志と言葉の不幸は 精神現象と呼ばれている。 (唯一存在する無とは主観のことで... 続きをみる

  • 悟りと四つの根拠律の対象の変化

    四つの根拠律の対象とは、物質、時間と空間、知性、意志である。 悟りで、物質、時間と空間、知性、意志がどのように変化するか見てみよう。 物質というのは、表象(識)である。五感に現れるものであり、唯識でいえば眼識、耳識、舌識、鼻識、身識、である。一番具体的に分かるのが直接の客観といわれる身識である自分... 続きをみる

  • 「充足理由律の四つの根について」について

    充足理由律は根拠律ともいう。「根拠律の四つの根について」は最初はショーペンハウアーの博士論文であり彼の認識論である。 真の命題(真理)に繋がりがあるのを学問というが、それを繋いでいるのが根拠である。根拠にあるいはその対象に四種あることを論じている。 物質についての因果律、時間と空間についての数学、... 続きをみる