schopenhauerのブログ

唯識とショーペンハウアーの研究

2019年8月のブログ記事

  • 科学につひて

    科学というはつらつら思わば学問の真なる命題その真の根拠が直観(五感)ということなり。実験、観察というはその直観を観察すと言えり。そこから推論構築せらるる命題からたてられし仮説は必ず観察により確かめらるべきなり。直観の根拠なき理念、信念、言明、命題は真理とは言わざるべし。 科学には自然科学、人文科学... 続きをみる

  • 主観と精神と直観の本質

    ある観念論哲学ではこの世界は三つの【存在するもの、存在者】でできている それは主観、精神、直観でありこれはどうしても分けざるを得ないものであるが というのはこの三つは互いに種と類の関係にはできないのである 以下はこの三つの本質であり、本質とは人間(自分)にとっての主たる性質とか価値とか意味のことで... 続きをみる

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  • 宗教と芸術と学問の定義

    わたしの考え(観念論的?)では人間の文化のすべては、宗教と芸術と学問に分類できるがその定義は <宗教の定義> 〇自分の精神を改善すること    (その他はもともと完全) <芸術の定義> 〇表象の鑑賞とあらゆる表象による表現    (基本となる表象は自分の体) <学問の定義> 〇真なる命題の繋がりの... 続きをみる

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  • 古代アーリア人

    学問というのは真なる命題(真理)のつながりの探究であり そのとき真なる命題が次なる真なる命題の根拠となってさらにつながり集まっていくことだが 偽なる命題が真となっていたらそれは学問ではない 人類の学問の起源はギリシャとインドにしかないだろうが この二つの民族に古代アーリア人が深く関わっていることを... 続きをみる

  • 愛の表面と内面

    からだが触覚ならば 触覚が実在ですから 愛に表面も内面も無いわけで 表面というのは皮膚で 内面というのは心ですが さまざまな体の部分 その皮膚と皮膚の接触が そのままこころの内面と なるのでしょう

  • セックス肌と肌の触れ合い

    一体に なってしまえば 何もない 無と永遠は 同じなんだよ <哲学的解釈> セックスのときに何もなくなるというのは体は有であるが精神が無ということで 体というのは触覚なのだから触覚のみになってしまい精神が無くなってしまった時の五感は永遠なのだから オルガスムが快感であったとしても終わるということは... 続きをみる

  • 二種類の因果について

    ショーペンハウアーは因果に二種類あることを明確に区別したし 唯識でもこの二つを区別して論じている ショーペンハウアーの二種の因果は物質現象の因果と動物や人間の動因つまり意志の因果(すなわち精神現象)であり 唯識においては遍計所執性といわれる分別意識や自我(すなわち精神)が依他起性(すなわち因果)と... 続きをみる

  • 自然宗教について

    人類の意識が人類となったとき 人類は世界やおのれを芸術としてみて驚いた 芸術だからそこには 雄大なもの、崇高なもの、美しいもの、喜び、楽しみ 醜いもの、耐え難いもの、恐れ、苦しいものなどの 感性的なものがあってそれを信仰で表現したのであった だから自然宗教とは現代の宗教学で理解されているようなもの... 続きをみる

  • 芸術における実在論と観念論

    芸術によって自己が慰められたり安らかになったり高められたりしたとしよう このときその力が芸術にあるとするならばそれは実在論と言えよう これに対して自己を救い高めたのは自己自身であるが芸術がそのきっかけであったとするならばこれは観念論であろう 芸術は宇宙の真相を表すものであるが人間の意志においても宗... 続きをみる

  • ぶっ壊す

    <日本国憲法をぶっ壊す> 主権が国にある以上国家は現実に対立しており平和を守っているのは軍隊である。軍事力は侵略の抑止力であり外交のための力である。日本国憲法は日本の国体や平和を破壊するためのものであるがそれ以上に日本人の精神を破壊するためのものであった。よって日本国憲法をぶっ壊す!! <戦後体制... 続きをみる

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  • 観念論と実在論

    客観が主観に含まれる観念論哲学では これは実在論では主観と客観の一致ということだが オナニーは同性愛の行為に分類されるだろう

  • 自分という存在について

    言葉は精神の上層にあって一番目立つのだから 精神は言葉であると言っても人間の場合は間違っていない ただ精神の下層には様々な記憶が膨大に蓄積されている ところで言葉や記憶は実在ではないのだから 精神は自分という存在ではないことになろう 仏教や禅が目指すのはこの自分という存在の探究であって 自分の精神... 続きをみる