schopenhauerのブログ

唯識とショーペンハウアーの研究

唯識と表象としての世界の微妙な違い

それは外界を否定しているかどうかであるが、ショーペンハウアーは外界を否定するのはばかばかしいと明言しているし、唯識では外界を否定している。


わたしはここに疑問を持ったので摂大乗論、唯識三十、二十を読んでみた。が外界が無いと言っている訳ではないので安心した。要するに認識されたものは外界ではないと言っているのだ。


ここで思い浮かぶののは、カントの「物自体は認識できない」という言葉である。<実在、物自体、涅槃、真如、何か関係あるだろうか?>


この違いはショーペンハウアーは実在論を脱し切れていないが、唯識は完全な観念論なのだ。ショーペンハウアーは世界が原子でできていることを否定しないだろうが、唯識を発展させた哲学では否定するだろう。


世界は種子でできているのだ。