schopenhauerのブログ

唯識とショーペンハウアーの研究

芸術としてのセックス

宇宙が芸術ということならセックスも芸術であるから


これがどういうことか考えてみよう。


宇宙が芸術ということは現在の宇宙のことであり


自分の体が自分にとって最も重要な宇宙であるが


精神の中の五感の記憶や言葉つまり想像力はこれには含まれない。


であるからわたしにとって相手の女性はわたしの五感に映る表象のみとなる。


精神が除外されればこの表象は永遠である。<直観の時間は概念ではないので永遠>


わたしの五感の女性とはその女性の


見える裸身、肌触り、匂い、喘ぎ、舌の味となる。


これをわたしの五感が味わっているわけである。


セックスで最も重要なのは触覚であるが中でも能動的なのが手と舌とちんぽであるが


その最後の高まりが触覚のオルガムスである。


五感は常に脳と連携して想像力とは無関係に直観として認識されていることを忘れてはならない。


これらの五感が全て美であるというのが芸術としてのセックスである。


<精神の想像力を含むとセックスは芸術ではなくなるとわたしは考える。要するにいやらしいものになってしまう>