schopenhauerのブログ

唯識とショーペンハウアーの研究

直観と概念 その五 オルガムス

オルガムスは直観だろうか感情だろうか?直観の場合は触覚であり、感情であれば感情は概念の集合からくるのだからその原因は概念である。この判断は難しい。しかし重要である。


オルガムスについてもそうだが、わたしが書いていることは観念論なのだから客観的にどうこうという自然科学や生理学や心理学が問題になるのではない。わたし自身だけが重要なのである。


わたしは子供のころから運動神経が鈍くそれでかなり劣等感を感じたものだが、体は普通に健康体で性欲も強かったと思う。ただ知的に非常に幼かった。つまり体は早熟だったが性については疎かった。


初めて射精したのは12才だったと思うが、もちろんそのころにはオルガスムの快感のためにオナニーしていた。だが初めて射精したときにはそれが何か全然分からなかった。


わたしは結婚したこともなく女性と長く付き合ったこともないので、相手のいる複雑なオルガムスについては疎いのだが、知識や経験が豊富だからと言って物事の真相が分かっていると言うわけでもないだろう。


わたしの考えではオルガムスは100%触覚である。実際のセックスでは触覚と感情の混合であろうが感情はこの快感に何の役割も果たしてないのではないかと思う。触覚と言ってもただ皮膚がというだけではなく、涼しい風やお風呂の後の気持ちよさというのも触覚だからである。直観としての触覚自体にすでに脳が関係している。


刺激への自律的反応は植物の活動の因果であるが、自我が発達しない動物も神経反応が刺激的であると思われる。また自律神経も刺激によるものと思う。


動物が高等になり自我が明確になるにつれて、それは概念が増えるということだがその集まりの現れが感情であると思う。


セックスから感情的なものを得ようとするのは本人の自由であるが、感情的なものが
なければセックスとならないと考えるのは出鱈目であろう。


感情は自我であるからそれは精神であり概念であり煩悩であり苦悩である。それは現れては消え、飽き、倦怠、後悔、絶望を来たらせる。


オルガムスは直観でありつまり触覚でありということは美であり、精神つまり感情ということは概念であり自我であるということであるがそれとは関係ないということを主張したいのであった。


ただオルガスムスというのは何かというのは難しい問題と思う。オルガスムスは重要なことであるが、それがなくても生きていけるのだから食べ物の旨さほどではないのではないだろうか。