schopenhauerのブログ

唯識とショーペンハウアーの研究

人間の完全性と不完全性について

人間が不完全なものであるというのは何を言っているのだろうか?


完全な存在者というのは全知であって全能ということができるだろう。


全知というのは宇宙のすべてを知っているということ、全能とは何でもできるということと言えるだろう。


】実在論の場合【


実在論とは宇宙があって地球があって地球の上に人間がいて人間の集団に自分がいて自分が客観的に自分の外の自分や人間や宇宙を見ていていろいろ知っていくということだから、人類が滅びるまで宇宙をくまなく調べても全知とはなり得ず、科学技術が究極まで発達しても知識や技術が完成することはなく、また常識的に考えても病気がなくなることはないし、必ず死ぬのだから人間は全能ではあり得ず不完全な存在であることが分かる。


【観念論の場合【


では観念論から見るとどうか?これを人間の存在の最高概念、主観、直観、精神から考えてみよう。主観のみが主観であるから、世界も自分の体も自分の精神も客観である。


主観は無なのでそこにはすべてがあり欠けたるものは何もなく完全で全知であり知らないことは何もない。直観とは宇宙のことであるが宇宙は物質ではなく観念なのですべてが元々完全である。死も病気も痛みも完全である。


自分の精神が様々なもの善も悪も苦悩も機械も芸術も作り出すがこの精神の元(動因)を自由に改造できるのが主観でありつまり主観は全能である。


よって人間はもともと完全であるが精神の元(動因)が不完全なのでつまり人間が不完全というのは精神が不完全ということでしかない。だがこれは主観によって改造することができる。


そして実在しているのは観念のみである。なぜならば自分の体を含めて宇宙(直観)は五感の感覚であり精神は観念以外の何物でもないからである。


物質と観念は接点が感覚しかなく物質というのはもちろん存在しているがこれはXであり動物や人間の精神で想像されたものでたとえば自分の体は物質ではなく触覚である。これが実在は観念ということである。