schopenhauerのブログ

唯識とショーペンハウアーの研究

内なるものと外なるもの

極めて重要に思われるものが、外なるものなのか内なるものなのかは、極めて重要である。


それが外なるものであるならば、それが自分にとって何の関係があろうか?


重要なものを自分の外におく人は、それを自分で得ようとはせず、希望をもってそれを待ち続ける。


が、それが実現することはない。それが自分の外にあるからだ。


キリスト教徒が神を外に求めたとき、神を得た人は一人もいなかったのである。


実在論が人を幸福にすることは、極めて観念的なものなのである。