主観と客観について
哲学において極めて重要な概念というのがあって
主観と客観というのもそうだと思う
このことについてだけでも過去からどのように考えられてきたのか調べてみると
色々なことが分かるのではないかとふと思う
例によって直観としての、実在や存在としての主観と客観があり
精神としての、本質や意味としての主観と客観があるわけだが
意味としての主観や客観は普通には主観的とか客観的な考えと言われている
存在としての主観と客観について考えてみると
客観というのは何かしら自分の外にある客体のことを言っているのだが
主観や主体というのは実際に何を言っているのか分からないのが本当のところである
ここのところをショーペンハウアーは深く考えてみたらしく
その結果存在している主観(や主体)として
主観とは「あらゆるものを認識するが決して認識されないもの」
であるという定義がされたのではないかとふと思う
よって客観とは「認識されているもの全て」となるので
自我というのは認識されるのであるから客観もしくは客体であると言える
仏教哲学でも自我が世間知としては主観として論じられていると言えるのだろうが
自我は真実の自己ではないと口を酸っぱくして言い続けているのだから
真実の自己を主観と言い換えればまったく同じことを言っているのだとふと思う
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