schopenhauerのブログ

唯識とショーペンハウアーの研究

「根拠律の四つの根について」が生まれるまで

世界が主観によって規定されていると考えたときに、人間の何故?という疑問
の根拠律によって宇宙の謎が出現する。


それが以下の物質の謎、思考の謎、時空の謎、意志の謎である。


これ以前は、物質の原因と思考の根拠の、その充足根拠律として、明確な
区別がつかずにあやふやに混濁しているのが人類だった。


物質の原因と論理の根拠とを、水が酸素と水素で出現する時に、酸素と水素
が水の根拠と言ったり、言葉や論理、その概念や命題が真という意味も帰結の
原因とか混合していた。ー根拠律の違いが幼児的にまだはっきりしていないー


ここから知らず知らずに間違いが生まれている。これは平凡においては現在も
延々と続いているが、これが「存在論的思考」である。



これが明確になった時に、この二つ以外に根拠律の類(るい)がないかと考え
て、時空の直観数学と動物や人の意志とを発見して、この論文が生まれたのだ
と思われる。



根拠律は、命題の真理において演繹の根拠となるもので、それが四種類あると
言うことなのであり、この証明に使われているのは帰納の分類である。


これは例えば犯罪の真実の証明ーその命題の真理の物的証拠ーこれは演繹ーと、
及び様々な状況証拠ーこれは帰納ーの二種と同じであり、(分類は帰納の特殊
ではあるが)
その犯罪の物証の場合は物質なのだが他に、四種類の根拠があると言っている
事である。犯罪の状況根拠と言われるのはこの物質以外の三種からできている。


そしてこれは、四種類の事象(根拠律の根ー物質、知性、時空、意志)の証明の
それぞれの根拠として、他の根拠はそれぞれにその根拠とはならない事になる。



付記ーこれで参考までにおおざっぱにこんな事が考えられるだろう。


〇自分が考えているからといって、自分が存在する事にはならないー知性と
存在の別類


〇宇宙が数学で記述できるからといって、数学の研究で宇宙が解明される事
はないー質量と時空の別類


〇哲学が言葉で記述されているからと言って、言語分析で世界が哲学として
明らかになる事はないー世界と知性の別類。
ⓦこれは神を論ずる場合、聖書やコーランから論ずるのではなく、神を探し
出してから論じなければならないという事と同じである。
🅆神はまだ見つかっていないが、いたとしたらどのように働きかけてくるだ
か?これはどのような働きならその存在が分かるだろうか?という事であるが
物質的奇跡であろう。だから人々は奇跡を待ち望むのだろう。所で実用的神は
様々な事を成しているのである。つまり心の救いである。なので内的神はその
存在が科学的に確かめられていると私は考える。内的神は確かに存在している。


〇存在と意味が何らかの形でつながる事はない(存在は存在、意味は意味で
ある)ー存在と意味の別類


〇対象とその根拠が四種というのが曖昧で、思考と記述に極めて間違いが多い
のは記述が、ほぼ言葉によって行われるのに対し、記述の対象に直観的事象が
多いからである。既成の書物のみをじっくり読んで考えるだけだと、言葉が先
か事象が先か分からなくなってくるからであるー勿論事象が先ー。


♡今年のクリスマスプレゼントは魔法瓶にしました。


など