schopenhauerのブログ

唯識とショーペンハウアーの研究

ブッダの行方 番外編 禅の教授法について

全部分かるまで待っていると死んでしまうので、わかる範囲で書きこ。


禅を学ぶ時もやはり人から教えてもらうというのと自分で勉強するというのがあるだろう。


学ぶというのは、⑴知識を学ぶ、というのと、⑵手職や技能や行為を学ぶ、というのとがあると思うが、禅は⑶智慧を学ぶ、と言えると思う。⑶は⑴や⑵で現れる。


智慧なのだから本来誰にも備わっているものであり、それが⑴や⑵と違うところなのだが、⑵と⑶を同時に学んだ或は⑵を通して⑶を学んだのが、もう過去の話しだが日本の「道」の文化だったと思う。


ところで智慧を学ぶのは自分の智慧なのだから人から教えてもらう事は根本的にはできないと言われている。


技能も智慧も自得しなければならないのだから、結局他人に教えてもらう事はできないが、この教え方にも下手な人と上手い人がいるはずだろう。


禅の教授の資格を持つ人を師家というが、師家になれるのは禅の師匠である師家に許可ー印可された者だけである。


なので、完全に悟った⑶というだけでは師家にはなれず、その教授法⑵>⑴が上手でなければ印可されない訳である。


有能な師家の元では完全に悟った人物も多く出るはずだが、その師家の力量は有能な師家を作り出すことと言われている。


これはどんなに多くても一生において数人であり、その基準は自分と同じレベルでは駄目で、自分以上でなければならないとされている。


それがどこまで現実に実践されているのかは分からないが、その師家の有能さは、自分を超える力量を持つ人物を作り出す事と古来言われている。自分の後釜が自分以下では後釜とはならないからだろうと思う。


⁅変態注意⁆この智慧は、主観として無であり、自我の世界では直感であり、宇宙としては感性だろう。動物の世界には言葉がないので、又言葉が人間を阿保にしている面があるので、悟りの世界では、動物が自分自身をどのように意識しているかが理解できるかもしれない。
($)最近DNAの研究で寿命が100~120年を超えた当たりから配列が一気に変化することが分かってきた。これは最初は個体の崩壊や寿命と思われたが、新しい配列で個体が復活することが分かってきた。これは種の自然崩壊かと疑われたのだが、種全体の中で個体個体が変態することが分かってきた。その後の研究では脳は変わらず体が変化するようで、手足が短くなり肺がエラになって水かきができる事から、人類は将来海の中で生活する事になると考えられている。
(Y) 息抜きの一発芸 プシュッ






つづく