schopenhauerのブログ

唯識とショーペンハウアーの研究

ブッダの行方 番外編 黙照禅と公案禅

黙照禅と公案禅を比べると、黙照禅は仏教としてオーソドックな坐禅の形と言えると思う。


と言うのは、釈尊の坐禅も、或は初期、部派、上座、大乗、瑜伽仏教も恐らくはそっちの系統なのだろうと思う。たぶん。


黙照禅は日本禅においては曹洞禅なのだが、曹洞禅と公案禅は明確な区別があると同時に影響されあっている面もあるだろう。


公案禅の仕上げを道元禅でやっている人は多いし、公案禅を参考にしている曹洞禅の人もいる。


ただ純粋に曹洞禅ー道元禅をやって大成した人ー沢木興道などのように公案禅に批判的な人もいるのである。


反面、黙照禅では悟りのきっかけが分かりにくくてだめだという声も聞く。


臨済禅の公案禅は、仏教の中では特に異端でありー教条ではなく修業形態としてー


悟りを先にしてー見性してからー修行するところに特徴があり、ーただあくまで坐禅が修行の中心でー


これもはっきりするまでは中々はっきりしないが、はっきりし始めるとどんどんはっきりしてくるという特徴が持っている。


◉私見では、公案はいささかも哲学とはなり得ないと思う◉