schopenhauerのブログ

唯識とショーペンハウアーの研究

唯識の実験の対象は直接の客観

唯識というのは世界はただわたしの識(表象)であり、それは眼識、耳識、舌識、鼻識、身識、意識、末那識、阿頼耶識でできており、それらは繋がっていて種子の何等か繋がりとか組み合わせでできているというのかどうかは分からないが、今はそうしておく。


というのはわたしは唯識を論じようとしているのではなく、完全な観念論の学について論じようとているのだから。


目に見える世界は眼識であり、耳に聞こえる世界は耳識であり、匂いの世界は鼻識であり、味の世界は舌識で、自分の体感とか触覚の世界は身識であり、言語、夢、感情、欲望、本能、意識と5識の記憶とかが、意識、末那識、阿頼耶識の世界でこれらは皆繋がっており種子でできている。ということにしておく。(夢というのはおもに眼識の記憶である。記憶だから末那識とつながっている)


ここで身識のうち自分の体感についてみてみよう。たとえば首の凝りである。首の凝りは実在論の科学では、神経がどうのこうのとなるが、観念論の科学では首の凝りは種子の何等かの組み合わせとか繋がりでできているのである。感覚が何でできているかが問題となるのである。


実在論の科学は客観的、観念論的学は主観的といえよう。