schopenhauerのブログ

唯識とショーペンハウアーの研究

わたしは東北人

高校野球がやっている。最近はさほど熱心には見ないが若いころはもちろん熱心に見た。
その影響もあるのだろうが、わたしは東北人という意識がある。東北というのは日本においては辺境にあるのだからそんな意味でもある種意識させられるものがあるのだろう。たとえば関西は関東に対しての意識はあるのだろうが、わたしは関西人だとかという意識は強くないだろうし、わたしは関東だとか、中部だとかという意識もそんなにないだろうが、九州とか沖縄とか四国などではある種の郷土意識は強いものがあるだろう。そんなことである。


4年程前に父が亡くなった。その2年後に母が亡くなった。家が一人になってしまった。
わたしはあまり旅行などする人間ではなかったのだが、一人になってまったく何の束縛もなく自由なので、またせっかく車があるのでしばらく東北を旅行してみようと思った。


元々学問としてではないのだが博物的なものに興味があり、山、海,みずうみなどの景色、星、月、植物、動物、岩、雲などいつまで見ていても飽きないのでほんと面白い。若いころは対人恐怖症だったので人のあまりいない所を志向する傾向はあるのだが、年をとってからはどんな人とでもおくびれず話せるようになって、日本人は少なくとも表面は誰でも親切なのでこちらが良く出ればまず間違いなく良い対応が期待できるのでほんと楽しい。


あまり旅行した人間ではないので、といっても若いころはバイクで日帰りや一泊ツーリングをしたので、近県はいったことがあるのだが、青森県に行ったのは去年の2月が初めてである。そして青森県は面白いと思った。海岸線が長いしみずうみがあって山もある。要するに地形が入り組んでいて海の景色が多様で風光明美だ。平野も広く道が大きくて開放感がある。


また対人恐怖の影響で、この対人恐怖というのは人が怖いのではなく、人に対する自分の
影響力が怖かったのだが、若いときから宗教に興味を持つようになった。わたしはどちらかというと理系なので、このときの転換は劇的なものであったかもしれない。


青森県に行くようになって気づいたことがある。それで頻繁に青森に行くようになった。それは青森というのはより東北で東北の中の東北なのだ。交通の便利やあふれる情報で日本全国郷土色は薄くなっているのだが、青森県というのは古い日本をそれも東日本とか東北地方とかの文化を、それも縄文文化を今も残している気がするのだ。


続く