schopenhauerのブログ

唯識とショーペンハウアーの研究

エゴの自由、エゴの人権、エゴの平和

エゴの自由、エゴの人権、エゴの平和などはリベラル思想の特徴なのだが、


これを追求してきた結果が現代なのであり、


エゴは対立するものなのだからよほどひどい場合を別にして、


こんなもので人間を救うことはできないのであるが、


つまりリベラル感性で日本の欠点とか言われる現代の悲劇は、


実は多くが性の解放などのリベラル思想の結果なのだし、


日本の左翼思想はこれに過去の文化を破壊してしまおうとする共産主義革命思想が加わったものなのだが、


わたしは何もリベラル思想がすべて悪いとか、


日本の伝統がすべて良いなどとは思っていないが、


日本の伝統には素晴らしい質素で貴族趣味の大衆文化があって、


これは一神教のドグマの影響を受けていない健全な自然宗教と、


自然宗教はどの民族のものであっても知的には素朴であるが感性的には正しく宇宙を捉えており、


これと個人の正しい救済を指導する仏教を正確に生活に生かしたものなのだが、


この文化を、西洋にのみ当てはまるリベラル思想を日本に無理に当てはめて壊していくのは、


もう止めてくだされ。


大きな目で見れば今は過渡期であって、


日本人は伝統文化に輸入した西洋文明を加味し、


これから新しい日本文化を創造していくのであろうが、


日本のリベラル左翼はあまりにも馬鹿なのでというのは、


左翼思想はただのアンチなので自分自身をを批判することができず、


反省できないのは馬鹿の最大の特徴で、


日本を破滅させてしまう盲目の意志なのだから、


ここに思想ではなく、


日本の社会をありのままに見た言葉と思われるものを記しておきたい。



<戦後のリベラル左翼の社会系は勿論人文系の知識人などはただのめくらである。そのワンパターンでは特にこれからの変化の時代では日本国民にものを教えたり指導することはできない。これからは世間の片隅でくすぶっているべきで人に何だかかんだかど説教垂れるべきではないのだ。教育は教えられる者にとっては権利だが教える方にとっては義務である。義務であるがゆえに崇高なのである。美、崇高、愛、善というのは直観にとっての永遠であり、精神にとっての普遍であるが権利というのはそうではない。悪というのは私や個から始まるのであり、善というのは無私や公や全のことであるから、権利を何か普遍的価値のように思っているようでは狂ってるのではないかと指摘するしかできないのである>


解説 直観の永遠性が美であり、精神の普遍性が知としての真であり、意思としての善
   なのである。