schopenhauerのブログ

唯識とショーペンハウアーの研究

実在論のセックス観念論のセックス

空理空論というのは完全な観念論において究極の実在を論じているのでお金がどうのこうのなどというよりは極めて現実的な問題で言わば金で買える食料を食べる自分の問題の腹が減るとかおいしかったとか腹がいっぱいになって元気がでてきたとかいう感覚のことである。


実在論と観念論の問題も空理空論と同じで極めてリアルな問題なのである。


♡実在論のセックス


自分が自分で相手が他人でありぱこぱこやって自分が気持ちよくて相手も気持ちよさそうだったら愛は成功したと思う。そして自分がうまくいったか失敗したか判断をくだして次の改善をはかる。判断がさも実在するかのようにこだわり得意になったり落胆したりする。


♡観念論のセックス


自分の体も相手の体も客観である。ぱこぱこやった自分の気持ちよさも相手の気持ちよさも客観である。自分とは関係ない。何かよそごとの現象のようである。また良かったか悪かったかの判断も客観なので他人ごとであり自分に責任がない。実在は感覚なので判断は意味がない。そのセックスは世界にたった一つでありそのたびごとに新しくその気持ちよさはありのままで純粋である。おすすめ。