schopenhauerのブログ

唯識とショーペンハウアーの研究

学問の直観的真理

この種族が見上げながら自我の消滅をおもうという大きな一つだけの月が三回満ち欠けしたころ命が終わる。わたしは今窓から外を眺めている。下には美しい惑星が見える。生命の星は皆青い色をしている。この星が墓になるだろう。
わたしは生命の生態学的研究に異常に関心を持つ変人だった。
恒星間旅行が始まって数千年後に宇宙と生命の探求に飽きがきたとき、それは我々の精神の変革が容易になってきたときにも当たるが、生きる意味や幸福というものが自分の外には直接的には関係ないことがはっきりしてきた。
旅行の楽しみが遠くても近くて違いがなくなり、外なる探検に興味を持つ者が減ったとき賢人議会は恒星間旅行を制限する決定を下した。
恒星間旅行は著しく制限されるようになり個人が簡単にできるものではなくなった。それでもどうしても探検旅行をしたいという者がいて個人用と家族用の全自動の小型宇宙船が用意された。これがそれである。
原子には生命の可能性が宿っており、単細胞→多細胞と進み、命に主観が宿る。また因果が熟せば直観的生命に知性が出現するのも必然であるが、知的生命に出会うのが極めてまれなのは、精神的進化の必然による内向きになってしまう知性と億年単位という時間の問題である。
わたしが活動している知的生命に出会うのは初めてであるが、この研究があまり意味をなさないのはわたしの種族があと一人で滅んでしまうからである。知性も数億年も立てば滅んでしまう。
我々の学問はこの星でいうと物事を外から見る実在論的な研究(形態論的と原因論的がある)と内面から見る(真なる命題は完全な精神から与えられてくる)という概念的真理(直観的真理と呼ばれ観念論的科学の一つの分野での直観と概念の関係の研究から証明された)、これは学問の両輪でありどちらも不可欠であるがこの星では実在論的な研究のみが著しい。
政治形態が非常に変わっている。普遍的民主主義が主流だ。普遍的民主主義は賢人にも愚かな人にも同じ権利が与えられるという不平等な制度である。もちろん基本の人権は皆平等であるが、道徳的な違いがある個人に政治的な権利が平等に与えられているのは不平等である。これではあらゆる意味で改善は進まない。普遍的民主主義が成功するには賢人の多さが必要なのだから。
若い種族は、知性というものがとても複雑なものだと思っている。これは無駄な概念が多すぎること、存在するものが多様だからそれに対応して知性も複雑になってしまうと思っていること、学問が進歩していくと知識がどんどん増えていってしまうということなど、そして直観と概念の関係をよく知らないことからきている。
知性と理性というのはまったく同じ概念だが、もし理性を極めて正しい能力とするならばこれは概念ではなく直観のことをいうのである。なぜならば頭脳というのは性器と同じで極めて丈夫なものだが、精神の異常というのが機能障害でないならばそれは知性の(記憶)のことであり、直観が精神的に異常になるという事はほとんどないからである。知性より直観のほうが丈夫なのである。直観的真理というのは、あくまで知的真理のことなのだが、主観(主観は無である)と客観(客観は表象<直観>と精神<知的生命の場合はおもに知性>である)との一致から導き出されたものである。
宇宙旅行をしていると星が瞬きをしないのはつまらないといつも思う。風が吹いていないからなのだが、草花が揺れたり女性の髪が乱れたりしないのと同じだ。この星に降り立って上を向いてちらちらとする星を眺めたい。さあこの宇宙船から永遠に降りよう。