schopenhauerのブログ

唯識とショーペンハウアーの研究

人類も含めた宇宙の知的生命の学問について

宇宙の知的生命の普遍的な宗教は仏教的なものだと思う。なぜならば宗教の定義は「人間の動因の改善」だからであり、宗教文化や宗教芸術は宗教ではないからである。


その知的生命の原因の学問はその初期には二種あっておそらく二つしかないだろう。


それが人類にとっては西洋哲学の系譜と仏教哲学の系譜である。


これらは実在論と観念論の系譜であり、二つしかないだろうというのはこれ以外に考えられないからである。


それは物質についての原因と精神と無なる主観についての原因の学問と言える。論理学、数学は精神の原因の学問であり、純粋数学は主観つまり内的直観である時間と空間の原因の学問である。


だから仏教哲学を学ぶことは西洋哲学や科学と同じくらい重要であり


わたし個人の考えでは人類の将来の学問は西洋哲学や科学が仏教哲学に取り込まれ


発展していくことになるだろうと思うのでむしろ仏教哲学のほうが重要であると思う。


これは実在論の学問が観念論の学問に取り込まれるだろうということであり、


なぜならば自然科学といえども人間の感性や認識形式や精神や言葉の上に成り立っているからである。


また人文科学は直接に、社会科学は間接に、人間の精神の原因によって説明されなければならないからである。


知性や宗教の実質や学問というのは単純なのであるからおおよそ推測できる。


宇宙の知的生命の文化はほんとに多様なものであるだろうが、


これは宗教や学問が多様なのではなく芸術が多様なのである。(これは人類の文化が多様であるのに対して学問や宗教が画一的なことから理解できるだろう)