schopenhauerのブログ

唯識とショーペンハウアーの研究

意志と表象としての世界とは何か その一

西洋でルネサンスから始まった新しい学問は最初から科学的であった訳ではない。その先駆者も今から見るといろいろおかしなことを言っている。哲学においては独断論である。


科学というのは世界や精神をよく見て結論を出すということで、その哲学的な表れがジョンロックやデビットヒュームであり、これらはアビダルマに似ているのではないかと思う。それはアビダルマも人間の精神をよく観察したものだからである。


ヒュームの哲学を通してカントの思索は始まったがそれは因果とは何かについてからだった。ヒュームは因果は経験的な認識とした。


科学は経験されたものをよく観察して結論を出すということだが、人間の認識は果たして
それだけなのかというのがカントの出発点である。


その思索の結果、人間の認識には経験以前のものがあり、それをアプリオリな認識というがこれはその認識が人間の頭の中に元々備わっているということである。