schopenhauerのブログ

唯識とショーペンハウアーの研究

直観と概念 その三 直観の内的と外的

直観には内的なものと外的なものがある。


外的直観というのは自分の五識である現在の表象のことである。


映像、音声、体の感覚、味、匂いは各目、耳、体、舌、鼻の表象である。


内的直観というのは生まれながら備わっているところのものである。


これが正しいかどうかは議論の余地はあるだろうが、


直観としての時間と空間、因果性、純粋幾何、色の感覚、音の感覚、皮膚の感覚、味の感覚、匂いの感覚などである。


これは砂糖が甘く青が青く夏が暑く事象に原因があり三角形の内角の和が180度であり時間が進むように感じるのは我々がそのように作られているからということである。


これらが経験的なものであれば内的なもの(経験以前のものアプリオリなもの)ではないことになる。


そしてこれらを見ているものがなければ意識はされないのだから、全体を直観しているものがなければならない。全体を直観しているのだからそれは存在している無でなければならないだろう。


各アプリオリな直観はこの無の中にあると考えられる。


この無は、自分の全存在を含む宇宙が客観なのであるから主観と呼ばれるべきである。