schopenhauerのブログ

唯識とショーペンハウアーの研究

歴史について(歴史の事実とその解釈)

歴史修正主義という否定的な言葉があるがこの言葉が何か正当な意味があるかどうかは疑わしい。


歴史という学問の発展というのは常に歴史の修正であるとしか考えられない。


これ以外に何かあるのだろうか?


歴史を科学としてみるならば歴史の事実の科学というのは実際に立ち会った人にしかいえないしそれに立ち会った人でさえ全貌を体験している訳ではない。


また歴史というのは科学だとしても過ぎ去ってしまったので事実としては検証しようがない。


すなわち歴史の学問の根拠は主に文書である。そしてその文書が真か偽かはある状況でしか判断できずつまりは科学にはなりにくいのだ。


歴史という学問は社会科学というならば実在の根拠それを元にした文書の根拠共に確実性が低いので歴史の修正が常に必要なのだと考えられる。



歴史というのは、歴史の事実と歴史の解釈の二つからなっていると思う。


【歴史の事実の歴史修正】


歴史の事実の歴史修正というのも大いにやるべきだと思う。なぜならば歴史の事実というのも実は怪しいものだからである。ただ歴史の事実は時間が過ぎて利害の対立がなくなればおおむね正しいと考えられ、まったくの嘘で修正されるということは極めて困難なことであろう。勿論歴史の事実の修正には十分な根拠が必要である。


【歴史の解釈の歴史修正】


ヨーロッパ人から見ればコロンブスがアメリカに行ったとなるがアメリカインデイアンから見ればヨーロッパ人がやってきたとなる。歴史の事実というのは一つだが歴史の解釈は立場によって違う。そして歴史という学問は主に歴史の解釈の歴史修正と考えられる。これ以外に何かあるだろうか?勿論歴史の解釈の修正には根拠が必要である。



学問には形態的研究と因果的研究がある。以上は形態的研究と考えられる。



<歴史の因果説について>


これには歴史全体の因果説と歴史を作る人間の心の因果説がある。


歴史全体の因果説とはわたしは専門家ではないので詳しくはないのだが恐らく西洋の歴史学者にはこいうことを考えている人もいると思うが、たとえば文明の勃興から発展そして没落にある因果法則があるのではないかというような研究である。いわゆる歴史は繰り返すと言う奴である。


歴史を作る人間のこころの因果説というのは、最近はこういう政治家個人の研究が多いと思うのだが歴史を作るのは権力者や指導者なのだから極めて重要であろう。また民主主義におけるマスコミと集団心理などというものも考えられる。


また今後人間の心の因果が解明されることによって政治家が原因としての政治の未来予想のこれは単純なものではあり得ないがある程度可能になることが予想される。これは最悪の事態を予防するためである。