schopenhauerのブログ

唯識とショーペンハウアーの研究

煩悩即菩提について

煩悩即菩提というのは凡夫に煩悩があってそれが即菩提だということではない


仏陀と凡夫の区別をしなければそれが必ずしも間違いとまでは言えないのだろうが


そんなことを言っているのではないと思う


これは悟りを開いた人が自我が問題にならなくなっても


自我が純粋な知性の記憶としては残っているし


食欲や性欲や自己保存欲や感情がやはり純粋な形で残っていて


その自我や欲望や感情が菩提そのものであるということだと思う


だから煩悩即菩提というのは悟りを開いた人にしか分からないのだろう



煩悩が無くなるということは人間の煩悩はおそらく知性として現れることが多く


これがリセットされると言ってもいいのだが


コンピュータの場合はリセットされると記憶は消えてしまうのだが


人間の場合は消えない


そしてこの記憶は自分の所有物に過ぎずよって本当の自分ではない


つまり自分の命というか自分自身ではないのだから


コンピュータに自分の記憶を全部覚えさせればそれは自分と変わらない


などと考えるのは自分の所有物を自分の命と同じと勘違いしているのである