煩悩即菩提について
煩悩即菩提というのは凡夫に煩悩があってそれが即菩提だということではない
仏陀と凡夫の区別をしなければそれが必ずしも間違いとまでは言えないのだろうが
そんなことを言っているのではないと思う
これは悟りを開いた人が自我が問題にならなくなっても
自我が純粋な知性の記憶としては残っているし
食欲や性欲や自己保存欲や感情がやはり純粋な形で残っていて
その自我や欲望や感情が菩提そのものであるということだと思う
だから煩悩即菩提というのは悟りを開いた人にしか分からないのだろう
煩悩が無くなるということは人間の煩悩はおそらく知性として現れることが多く
これがリセットされると言ってもいいのだが
コンピュータの場合はリセットされると記憶は消えてしまうのだが
人間の場合は消えない
そしてこの記憶は自分の所有物に過ぎずよって本当の自分ではない
つまり自分の命というか自分自身ではないのだから
コンピュータに自分の記憶を全部覚えさせればそれは自分と変わらない
などと考えるのは自分の所有物を自分の命と同じと勘違いしているのである
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