schopenhauerのブログ

唯識とショーペンハウアーの研究

㊁観念論哲学体系について

このブログはわたしの考える哲学体系というものの単なる構想に基づいて書かれている。


哲学体系は、認識論、存在論、それに基づく様々な評論からなるが、評論は任意で良い。


哲学であるから、どうしても形而上学的な命題から導かれる命題がでてくるが、科学的を目指すのだから、その命題は既存の科学によって説明される。


これは連なる命題の論理に於いて、科学で証明された命題は、常に形而上の命題の下位にあるのだが、形而上の命題はそれらによって、帰納的に科学的に真とされる、ということである。


観念論の認識論は、主観の認識論なので実在的客観は必要ない。また認識論自体はすべて観念論であると考えられるのである。


観念論の存在論は、主観の直観(五感による今(記憶でない)の世界認識で美を含む)、主観の精神(概念とあらゆる記憶、その全体作用である感情を含む)の存在論であるから、実在論の存在論より単純であり、実在論の存在論の基礎なのではないかと考えられる。


評論は任意(自分の能力内)のある程度の量でよく、またいくらあってもよいが、上記の認識論と存在論によって世界が説明されている。それには実在論の哲学や科学がなぜそうなるかも説明されている。


だからこのブログに書かれていることは、㋑観念論の認識論、㋺観念論の存在論、㋩それらによる評論、㋥その他(愛の言葉のむなしさの証明を含む)、のいずれかになる。


次は今までの人類の文化が観念論と実在論の混合であることを書いてみたい。