schopenhauerのブログ

唯識とショーペンハウアーの研究

知性とその創造性について

㋑ヒトの特徴である知性が帰納の下位に論理-演繹があり、哲学の第一の命題を「宇宙は自己である」という事にして、その下位に観念論哲学体系ー例として私のtwitterーがその下位に「現在の学問と科学」があるとする。


㋺知的創造性は、学んだ事から学んではいない考えが浮かぶ事で、㋑を学ぶ時にもこの創造性(見通し)が必要と考えられる。


これは、全体ーその直観と命題ーの中で学んだ事が正しいか正しくないか、全体の中でなぜそうなるのか結局それは何なのか、全体の中でその知的な位置などという「見通し」(帰納的な洞察)なくして、学んだだけでは何も分かっていないと同じだと考えられ、これは小さな知的創造性と言えるだろうと思う。


㋩この洞察が学問としてつながると哲学の第一命題から第二命題の分析たちが生まれ、それから第三命題たちが生まれたというのも㋑だが


㋥「哲学の第一命題について」への何故という疑問は宇宙はなぜ自己になるのかという事で、それが主観と客観の一致ー世界の直観的洞察ーとすればその応用が、それと知的創造性の自得ー世界の知的洞察ーと言え、これは今の自分がより知的、知的創造的になる事と言えると思う。
◎分かりにくい文だがただし正確、これ㋥は「クリスマスにブッダを想う(後半未完)」に関連している
◎㋑㋺㋩㋥全体は、「根拠律の四つの根について」が生まれるまでの帰納部分に関連している


◆㋥についての覚書
直観(及び知性)※に於いて、直感的に分かる知性が知的創造性と考えられるがその時の
直観の定義ー
(観念論)ー五感である触覚、視覚、聴覚、味覚、臭覚が観念的に物自体と結びついている感性
(実在論)ー外界(自分の体を含む)が五感を通して脳の中で色々やっている感性
直感の定義ーすぐわかる事
※宇宙が自己である時、もしくは自己が自己にすぎないと考えられる時に、どちらでもかまわないが、全ての人はいずれかであろう。その時に人と言ってもいいし宇宙でもよいのだが、全ては直観と概念でできているであろう。すなわち直感ーすぐ分かるーのに直観と概念とがある事になるが、この二種についてはtwitterに直観認識ー実在表象、概念認識-記憶表象として書いてある。


@分かり難い話だが一応書いておく。
直観と知性に於いて、直観が冴えた時に知性も冴えるのだが、これが知的創造性(直感)である。ところが直観が冴えることを邪魔しているのが知性のたぐいなのである。つまりはこれが人間の分かり難い所である。これが㋥。


@知的創造も含めた創造力については、それが無意識的に行われているだろう事が、このブログの「想像力と創造力について」に満足すべきものではないが書いてある。


@僭越ながら尊敬すべき専門家の専門分野の豊富な知識と経験は、以上の事柄が漠然とでも分かれば、自分のニューロンのその知識の繋がりが時の過ぎゆくままにその身を任せても、無意識に限りなく深まっていくのだから創造性もそれに続くはずである。そうでなければ大成はできないので、現在が続いていくだけと諦めるべきである。知識とそれからの演繹、推論とからでは創造性としてやれることは限られるからである。



【コラコラム】これは知性の真理(命題)が直感的に直観ー世界と関係するという事である。自然現象、社会現象、精神現象の観察の後の科学的、又はその逆の哲学的であっても、直感的に分かる真理があるという事なので、直感的真理と言えるかもしれない。つまりはこれが直感的に真理が明かされるという知性の創造力なのである。


全くの空想なのだが、これをさらに進めると世界と知性が密接に結びついてるものがあると仮定できる。ここまでくるとこれを直観的真理と言えるだろう。これがあるとしたら、宇宙や世界とヒトの知性が世界の裏で、あるいは脳の中で密接に関連しているかもしれない。これがあるならばどんな事が起こるか?空想なので詳しくは触れないが、事象に於ける知性-真理ーの恣意性が限定されるという事である。又人間の真の意志が真の言葉で書くことができるようになるかもしれない。


これの実用性ー
本能のエゴから発した理性、、の時代、実在論の二元的な世界観が極まって、善を崇拝する者もいれば悪を崇拝する者もいる。これが人類が滅亡するかしないかの危機の原因だろう。それを乗り越えるには変わった新しい創造性が必要であろう。上記はそんな参考になるかもしれない。