体感について
自分の体をショーペンハウアーは直接の客観と呼んだ。
わたしは直接の直観と呼んでいる。
これは直接の客観を直接の直観と精神の二つの存在者に分けたのである。<厳密に言えばこれは一つの立場からの分類なので絶対的なものではない>
そもそも世界は自分に含まれるので自分とは何かというのが、観念論の科学や哲学のたった一つの問題なのだ。
ここで自分の体についてのみの自分についていえば<これが極めて重要なのは自分という物自体であるからだが(主観という全知者であり精神についての全能者も内包されている)>、完全な観念論ではこれは肉体ではなく、触覚(身識)の体感であるというのは明らかである。
体感というのは触覚から皮膚の感覚の外界を認識する場合を除いたものである。
厳密にこういうことが言えるかどうかは置いておいて、ごれは学問的レベルに耐えると思が、こういうことを厳密に規定することが今の目的なのではない。
体感は病気のときは痛みであり、健康なときは体調といえるだろう。
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