schopenhauerのブログ

唯識とショーペンハウアーの研究

宇宙に散った風邪のウイルス

風邪の苦しみ。ちょっと違う味覚、櫛を引くような頭皮の感じ、彩りのあるような香り、通奏低音のような静寂な耳鳴り、幻覚と繰り返す思いの中で妄想が現れはじめる。



個の個々の関係や社会の影響による精神的な苦しみはだいぶ昔に無くなっていた。そして...


最先端の科学技術によっても生老病死の肉体的苦しみは完全に無くすことはできないが、千年の寿命や完全な医療でその苦しみを意識して暮らすということもなくなっていた。


我々の種族はもう銀河旅行や宇宙生命の探究や冒険に飽きてしまい種族全体の完全な精神の自由つまり幸福の実現に取りかかっていた。


「不完全な者が子供を教育する権利はない」というのがスローガンでそれは始まった。種族全体から悪因を取り除くのに指導者に悪因があってはダメだったからである。種族全体の完全な幸福は個の完全な幸福の集合であったからだ。


我々の大切な子供達は記憶の中に不幸を持って生まれてきて千年を生きる。


それは我々の動物としての宿命や過去の過ちであり、教育とは主な目的はその除去であって、新しい経験や知識はその次であったから、新しい不幸を植えつけたのでは話にならなかった。


ただし教育だけで個の不幸を除くのは不可能であって、これは社会の仕組みが完全に良くなっても、いささかも個の不幸は少なくならないことと似ており、個人は自分で大半の集合無意識の不幸を除かなければならないのである。


『我々の歴史』から 風邪のウイルス


自己の成長というのは知識や経験の増加よりも集合無意識アラヤの解消であり、精神の苦しみというのは自己を成長させるきっかけとなるものだが、我々の文明はその初期にその苦しみを駆逐させてしまった時期がある。精神的な苦しみは肉体的な苦しみに寄ることが多く医学の発達とまた様々な社会的、心理学的改善によって精神的な苦しみはほぼ無くなったのである。まったくなくなった訳ではなかったが日常生活で苦しみを感じることはなくなってしまっていた。苦しみがなければそれでよいのではないかといいことにはならなかった。我々は幸福な家畜ではないし、集合アラヤの苦集は普段は隠れているように見えるが実際は、精神病を含む心因性のあらゆる病気や心因自体、一見幸福そうな者の穏やかな負の感情の原因や、幸福そのものである宇宙の芸術の鑑賞を妨げるものとなっている。個の肉体の感覚を含めて永遠の今という幸福は、その表れとしては宇宙の芸術の鑑賞であるということが証明されていたのだからこれは致命的であった。そんな中で風邪のウイルスが我々によって創り出された。風邪のウイルスはこれによって死ぬことはなく肉体的な苦しみよりも精神的な苦しみが惹起される。これによってほぼ定期的に偶然的に発症して我々を苦しめる。そして完全な精神にとっては肉体的違和感の他はまったく苦しみを感ずる事ができないのである。このウイルスは長い研究によって安全性の高いものであることが検証された。さらに長い議論の後実行された。まず我々の住む一つの惑星で風邪のウイルスはばらまかれた。数十年をかけてその安全性が実証されさらに数個の主要な惑星にまかれた。そして数千年経つとそれらの惑星の数百光年以内のいろいろな惑星でこのウイルスが検出されるようになった。これによってにウイルスは生きたまま宇宙を旅行するということが証明されたのであった。