schopenhauerのブログ

唯識とショーペンハウアーの研究

クリスマスに寄せて

キリストの贖いというのは虚構である。


救いがないというのではない、救いは実際にある。


キリストの贖いというのが文学的表現であり虚構であるというのだ。


キリスト教がただレリジョンとして救いを問題とするだけなら何の異論もない。


ただ神が実在するとか神が現実に世界に働きかけてくるとかとなると


これは哲学の問題となってしまうので虚構であると言わざるを得ないのだ。


これはギリシャ哲学とキリスト教を一致させることはできないと言っているのだ。


神が実在するというなら、確かに実在するのだが


それは内なる神であり自分の中に実在する無なる主観のことを言うのだ。


これが哲学的というよりも科学的な真理である。



自分の外にいる神が自分を救うというならどうやって救うのだろうか?