schopenhauerのブログ

唯識とショーペンハウアーの研究

ショーペンハウアーは悟っていたか?

「意志と表象としての世界」の最後の版で、ショーペンハウアーは大乗の般若波羅蜜に言及している。当時のヨーロッパではまだ大乗仏教が一般的でなかったのだから、仏教を熱心に研究していたことがわかる。


悟りといっても現実にはレベルがあって、完全な悟りは自我が消滅して感情がなくなり知性が純粋的になった状態であるが、そんな釈尊や唯識論や大乗経典を作った人々のようなものがなかったことは、彼の自我へのこだわりからわかる。


ただ宗教的な知恵は大いにあったと言えるだろう。そうでなければあんな作品は作れない。当時の西洋人であるから自我の消滅というのは、はるかな彼岸にあったのだろう。それは作品の中の涅槃への言及から分かる。


彼が坐禅を知らなかったことは、本当にもったいなかったと思う。