schopenhauerのブログ

唯識とショーペンハウアーの研究

言葉について

自分の精神を山とすれば


言葉というのはその頂上付近にあるもので


下層には物凄い量の無意識があるが


頂上であるがゆえにそれしか意識されない


精神には膨大な直観的な記憶もあるはずで


それがなければ言葉は機能しないだろう


言葉や精神というのは人間の文化そのものだが


それはまったくの虚構であって実在はしていない


作品となってしまえば別だが


精神は各個人の虚構であって


実在は単純なのだが虚構は複雑だ


虚構の中で実在である直観の宇宙や記憶や言葉である精神について


正しく言明表記された言葉が真理と言われる


それは主語に対する述語が真ということである



苦しみには肉体的(直観)のものと


精神的(概念、感情)なものがあって


精神的なものは虚構であり


釈尊が問題にしたのは精神的なものであった


実在は現在しかない


現在しかないということは


現在もないといってよいのかもしれない


言葉や精神というのは


与えられている宇宙をさらに意識するものだが


宇宙は表象であるから


表象の表象といってよい