schopenhauerのブログ

唯識とショーペンハウアーの研究

悟りの知性において直観的真理というものが主張できる

分析命題というのは、命題自身の中にすでに真理が含まれているものである。


「純粋知性批判」は、科学的真理とは何か?を追及した結果生まれた書物であるが、科学的命題の中に、経験的(アポステリオリ)な総合命題のほかに、純粋(アプリオリ)な真なる総合命題があることを発見したものである。


直観的真理というのは、アポステリオリな総合命題はすべてアプリオリと言えるのではないかと考えるものである。


分かりやすくいうと、あらゆる真理(真なる命題)はすでに自分の頭の中にあるのだということだが、主観と客観が一致している(正確に言うと客観が主観に含まれている)のでこういうことになるということができる。


主観とは無であり、客観とは物質(表象、識)と精神(人間にとってはおもに言葉)である。




四つの根拠律の対象と目覚める前の人生

唯一存在する無は因果と時空と意志と言葉を与えられている。


世界から与えられてくるそれらは真と偽が混じりあっていて幸せと不幸を体験させるが


偽にもそれなりの必然と意味がある。


人間の自我は感情でありその偽から与えられてくる意志と言葉の不幸は


精神現象と呼ばれている。


(唯一存在する無とは主観のことである)

悟りと四つの根拠律の対象の変化

四つの根拠律の対象とは、物質、時間と空間、知性、意志である。


悟りで、物質、時間と空間、知性、意志がどのように変化するか見てみよう。


物質というのは、表象(識)である。五感に現れるものであり、唯識でいえば眼識、耳識、舌識、鼻識、身識、である。一番具体的に分かるのが直接の客観といわれる身識である自分の体だろう。その次が眼識であり一般に世界とか宇宙と言われている。


物質についてはこのようなことが言われている。「世界は夢、幻のようなものである」「自分の体が消える」「自他不二」「真如」「主客一致」


時間と空間については、永遠の世界とか、大きい小さいがなくなるとか。


意志については、自由になるとか、楽になるとか、無心とか。


ここの主題は知性が中心になるので、次に知性について論じてみたい。

「充足理由律の四つの根について」について

充足理由律は根拠律ともいう。「根拠律の四つの根について」は最初はショーペンハウアーの博士論文であり彼の認識論である。


真の命題(真理)に繋がりがあるのを学問というが、それを繋いでいるのが根拠である。根拠にあるいはその対象に四種あることを論じている。


物質についての因果律、時間と空間についての数学、知性についての論理、動物の因果律である動因の意志、の四つについて論じたものである。





アメーバの身識

アメーバは水の中で宇宙を感じていた。


硬い石とさらさらした水と柔らかい有機物の感触が彼の全宇宙だ。


安定した台地と心地よい水の流れとおいしい食べ物が彼を満足させていた。


触覚は存在の確かさを最も確信させる器官である。


目と耳と鼻のない彼は宇宙をありにままに捉えていた。


(食欲を満たされたとき彼の身識は宇宙だった)