schopenhauerのブログの新着ブログ記事
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客観が主観に含まれる観念論哲学では これは実在論では主観と客観の一致ということだが オナニーは同性愛の行為に分類されるだろう
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言葉は精神の上層にあって一番目立つのだから 精神は言葉であると言っても人間の場合は間違っていない ただ精神の下層には様々な記憶が膨大に蓄積されている ところで言葉や記憶は実在ではないのだから 精神は自分という存在ではないことになろう 仏教や禅が目指すのはこの自分という存在の探究であって 自分の精神... 続きをみる
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太郎は夢を覚えていることはなかった しかし太郎は毎晩夢を見ていた その夢は大葉の葉が さらさらさらさら降っているだけだった
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太郎は病気になりました 花子は茄子の料理を作りました その料理には青シソが入っていました それを食べると太郎の病気が治りました 太郎の病気は恋の病だったのです
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あのひとの目はぶどう あのひとの匂いはメロン あのひとの頬は桃 あのひとの乳首はブルーベリー あのひとの肌はアボカド あのひとのくちびるはレモン あのひとの心はりんご
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おりひめとひこぼしは今年も会えなかったのです もっとも一度も会ったことはなく出会いはスマホだけなのです スマホではいつでも会えます、間接的に ひこぼしは望遠鏡でおりひめを直接眺めることがあります おりひめは純白の星でひこぼしにはそれがウエディングドレスのように思えるのでした おりひめはわずかに変光... 続きをみる
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誰でも意識しない時が 一番美しいのだから 本当の自分は鏡に映る自分より もっと美しいのかもしれない そして意識すればするほど醜くなっていく可能性がある そこで本当の自分を鏡で見るための方法は 鏡に映る人を他者の一人と見ることだと思う
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しばらく前は冬だったが春がやってきて 「春になりますよ」と言って春になった もう少し立つと梅雨がやってきて 「梅雨になりますよ」と言って梅雨になり 梅雨が終わると夏がやってきていて 「夏になりましたよ」と言って夏になっているだろう
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わたしのささやかないのりは 夢で逢えたらなんていうこと こころの深いブルーは シンプルを望んでいるのに クリシェみたいな恋で カラフルな思いの繰り返し それは月のうさぎと地上の夢のようなもの キセキノリンゴでも食べれば ふたりの旅ができるでしょうか 恋する運命が現れるまでは 好きな人は悪魔のように... 続きをみる
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絶対的なリコウがあるとすれば誰でもアホだ だからアホとリコウは相対的なものだろう これから、リコウからアホへの順番は上から下へ 1)一番リコウな人は自分がリコウなのにアホだとおもっている 2)その次は自分がリコウなのでリコウだとおもっている人 3)次はアホなのでアホだとおもっている人 4)最低はア... 続きをみる
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<食べ物> 食べ物は目にとってはただ視覚であり、作るときはだだ触覚と聴覚である。おいしそうな匂いは臭覚であり食べるときは味覚と触覚との調和である。腹が減るのと満たされるのはのは触覚である。満足感は感情だろう。 <自分の体> 鏡に映る自分はただ視覚である。自分の体を直接眺めるときも自分を外から眺めて... 続きをみる
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また一年 死が近づいて さくら散る 生まれる前が 元のすがたよ
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愛が散ってさくらが咲いた さくらはまもなく散るだろう 世界はいつもそこにあって一年たってさくらがまた咲くだろう でも世界がいつもそこにあっても愛がまた咲くことはないだろう
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男と女が恋をしました 男は魚が食べられませんでした 女は肉が食べられませんでした 男と女はベジタリアンになりました 男と女は結婚してたまごと牛乳と末永く幸せに暮らしました
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今日は四月一日なので誰とも会わないようにしています 四月一日は年に一度嘘をついてはいけない日なのです わたしのように毎日嘘をついている人間にとって 年に一回嘘をついても良い日なんてどんな意味があるのでしょうか とそういう訳の今日はわたしだけのエイプリルフールです ああでも嘘をつけないのはなんとつら... 続きをみる
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バッハやベートーベンは素晴らしいのだろうが それよりも素晴らしいのがわたしの耳だ なにしろわたしの耳がなければバッハやベートーベンは意味がない そしてバッハやベートーベンに不満なのがその音楽が人工的なことだ それに比べれば水や風の音や動物の鳴き声のほうが自然ではるかに見事にわたしは感ずる それは人... 続きをみる
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1986年にパソコン通信が始まってPCVANとNIFTYができた。 1987年PCVANでそれまでわいわい仲良くやっていた所でなんだか忘れたが議論がおきて騒然となり混乱して収集がつかなくなった。 そこでパソコン通信で議論が可能かどうか議論が起きて議論派と仲良し派で議論になった。 議論するなといって... 続きをみる
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振り込め詐欺師と妄想者と誠実な阿保がおりました 誠実な阿保は自分が阿保だと分かりませんでした 誠実な阿保は振り込め詐欺師と妄想者の言葉をおかしいなと思いながらも 立派で正しいことを言っていると思おうと努力しました 努力しても努力してもなんかおかしいことばかり続きました ある日誠実な阿保は自分が阿保... 続きをみる
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肉体的な苦しみと精神的な苦しみを分けて考えると便利である 肉体的な苦しみから精神的な苦しみが生まれてきて 精神的な苦しみが肉体的な苦しみを増大させるということがあっても この二つは実質的に全く無関係と考えてもよいのではないかと思う 類型が違っており没交渉であり生物としての動物と植物ほど違ういうより... 続きをみる
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ショーペンハウアーの表象についての迷言と考えられるものとして 「男に性欲がなくなると女性の美しさは消え去るだろう」というのがあると思うが これがパレルガの「女性について」のどんな場所での表現なのか分からないので正確なことは言えないのだが 1)男に性欲がなくなると男は女性に美しさを見出せなくなるだろ... 続きをみる
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精神改造の因果について その一 悟りの原因は意志の否定ではない
ショーペンハウアーの価値はその著作を読むことにあるのだが、彼の哲学のまとめたものはやはり「意志と表象としての世界」でありその前として「根拠律の四つの根について」でありその後ろとして「意志と表象としての世界 続編」であろう。 「意志と表象としての世界」は四つの考察に別れ、最初の二つは「表象としてのこ... 続きをみる
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今年こそは年末には 大掃除をしたいと思います と去年も言ったかもしれない 生きていればだが でも生きているか死んでいるかにすれば 掃除なんてどうでもいいかも
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自分の体を直接認識するのは触覚だけで その体感を心静かに感じてみると 心臓とか呼吸とかの力学的感覚以外に 特にオナニーした後などはむずむずと精子が作られているのが分かる ここで女性のことを思うと月に一回一つの卵子が静かに作られている 一個の細胞として精子と卵子に差別は無いだろうが ひと月に一個作ら... 続きをみる
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歴史修正主義という否定的な言葉があるがこの言葉が何か正当な意味があるかどうかは疑わしい。 歴史という学問の発展というのは常に歴史の修正であるとしか考えられない。 これ以外に何かあるのだろうか? 歴史を科学としてみるならば歴史の事実の科学というのは実際に立ち会った人にしかいえないしそれに立ち会った人... 続きをみる
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空を見上げてなんてわたしは空と同じくらい雄大なのだろう 星を眺めてなんてわたしは星と同じくらい美しいのだろう 事象の有限を思うとなんてわたしは宇宙より永遠なのだろう わたしを思うときなんでわたしは特別に選ばれているのだろう
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服を着た男のちんぽは からだを縦割りにして 右にある人と左にある人がいるが 左にある人が 補正して真ん中に持ってきている人を リベラルというのではないかと思う
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これは観念論的文化論である。 観念論的視点からみると、 世界の文化の中心はパリでもなくニューヨークでもなくわたしである。 なぜならそれ以外は主観的に無意味であり、つまり客観的真理というのがつまらない真理だからである。 実際に主観において真理でなければ客観においても真理ではないので、客観的真理という... 続きをみる
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それはトランプ大統領である 安倍総理も立派で尊敬できる人だがアメリカの属国の総理ということで力がない その理由としては トランプ大統領は悪しき世界を変革する人 安倍総理は日本の悪しきを変革する人ということである
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戦後 日本国憲法 リベラル グローバリズム 平和教育 それから偽善
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差別と平等というのは仏教の重要な概念であり 西洋の思想を翻訳するときにその言葉の意味が追加された 西洋的思惟では差別と平等は対立概念であるが 仏教では事象は差別以外の何物でもなく 平等とは差別自体が平等という意味である
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わたしは真実の愛の中にいて そこから逃れることができない それは時間と空間を超えて 永遠の中の過去から未来へ 宇宙の果てへと続いている 宇宙に始まりや終わりなんて無い その愛があなたを選んでしまいました
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水道の蛇口は凍ると詰まる ゴミや紙がたまると水が詰まる 口が自由でないと言葉が詰まる 便秘も 詰まるところこれは穴
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頭の中の意味ではなく 現実の事象で 主権国家が対立する国際関係の中 国民の平和を守っているのは 軍隊
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国民の 生命権>生存権>基本的人権 を現実に守っているのは 国家
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春がきた春がきたどこにきた テレビにきた新聞にきたオールドメディアにきた 花が咲く花が咲くどこに咲く 朝日に咲く毎日に咲くNHKに咲く
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寿命が増えて 子供を作るための結婚ばかりでは なくなったということだろう 年の差婚
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国家の憲法に国家主権を認めない記述があり 基本的人権が明記されていても有事になると生存権がない 国民主権と言っても国家主権がないのだから 平和主義と言っても頭が平和なだけ 矛盾してるのですべてが嘘
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馬鹿には感性的馬鹿、知性的馬鹿、道徳的馬鹿がある 憲法とその基本的人権によって 人には馬鹿でいる自由があるが 人の上に立つ者、人にものを教える者には 責任があるのだから 馬鹿でいる自由はない
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冬は死である 春は生まれであり 夏は生で 秋は老いである 死は永遠であり 生まれは罪の判決で 生は刑罰である 老いは幸福への希望で 死は完全な幸福である そう思えないのが生の騙しの仕掛である 生が涅槃でなければ
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今のおんなは美人が多くて結婚相手が見つからない わたしはいいおとこで相手がぶすなおんなだと 一生わたしから離れないだろう ぶすなおんなは謙虚で幸せな結婚をしているおとこが多い わたしはぶすなおんなを探している 結局あるおんなを好きになったが たった一つ不満なのが可愛すぎることだ 結婚しても一生不安... 続きをみる
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変わった鳥が空を飛んでいるなと思ったらキジだった キジは地面すれすれしか飛ばないと思っていたらあんな高いところも飛ぶんだ 道幅がかなり広いので高いところを飛ばざるを得ないのだろうか 鳥は山の中よりも人里のほうが個体数がはるかに多い 食べ物が多いし安全だからだろうがひょっとしたら人間が好きなのかもし... 続きをみる
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おとこの愛は太く短い おんなの愛は細く長い わたしの愛は太く長い わたし自身は細く短い
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月の光の下で虫が鳴いている 月は太陽の光を反射して 八つの原色の組み合わせでこのように光っている 虫はメスの気を引こうと鳴いている と言うのは頭で考えた只の文章で 本当の実在はやっぱり 月の光の下で虫が鳴いている
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真理というのには二種類あって ありのままの現実と正しい言葉のことである 真理というのは正確には正しい言葉のことであり 正しい言葉というのは命題が真、主語についての述語が正しいということであり その述語の正しさの証拠を根拠といい科学というのはその根拠を直観に限ることをいう 学問はその命題自体が真理と... 続きをみる
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地球の今の文明は十万年後の文明とはまるで違うだろう 知性というのはその単純さから あらゆる知的生物でまったく同じと考えられるが その今の地球の文明は銀河系の他の知的生命の文明ともまるで違うものだろう 何が違うのだろうと考えてみることができるだろう でもその考えは今の地球の文明から抜け出すことができ... 続きをみる
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男はyoutubeを見ていた。その動画は幾度となく見たがある場所や時代や風景が流れ、ある女の子供時代が展開されている。雪の町を女が運転しているというのもあった。その動画はその女が作った歌のプロモーションビデオであった。 男はいつもそれを見ながらその雪の町はむつ市なのか弘前かどこかの津軽なのか分から... 続きをみる
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あのひとを愛してみたい 夢中になんてならないよ 恋は男のバックグラウンドミュージックだから あのひとと付き合ってみてもいいのよ 熱中なんてしないわ 恋は女の性欲なの 恋は男のメロディーで恋は男のハーモニー 恋は女のリズムなの、恋は女の通奏低音なの
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わたしは若いころから禅や仏教に興味を持っていたが熱心な修行者だった訳ではない。 それだけでも進歩はしていくのだが、 今は熱心に坐禅をしているが怠け者だった昔を振り返り今とからめてちょっと普通と違う視点から坐禅について書いてみると。 禅とか仏教あるいは宗教一般といってもいいのだが、これは自分を本来の... 続きをみる
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前に「わたしは東北人」というのを書いて続くとしたがその続きで青森県のことを書こうと思っていた。よってこれはその続くである。 去年のお盆わたしは下北半島にいた。そこのお盆の夜の燈明がとても神秘的なので感動していた。大間のすぐ南の佐井村では花火大会があってそのとき青森ねぶたのお囃子の演奏があってこれに... 続きをみる
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願いは叶うことなく理想は空回りし希望は無駄である。 自由も平等も平和も博愛もただの妄想で限られた個人以外に実現することはない。 世界も人間も改善されることなくますます混沌としている。 科学が進歩し幸福は増えてるようでもそれは肉体の不幸を軽減するだけである。 すべてが虚構なのは人間の精神や概念が虚構... 続きをみる
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概念の夢から覚めれば 直観の宇宙もまた夢であった 表象の表象である精神は 夢の中の夢で 夢の中の夢の中で夢を見ると 現実で好きでたまらぬ女性がいても その中では違う女性の名前をつぶやくことがある 夢の中の夢の中の夢は 夢と夢の中の夢の境界を取り払ってしまう <夢というのは現実の世界で直観のこと、夢... 続きをみる
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わたしの内的直観の愛は あの人の可愛らしさに恋をした その可愛さは外的直観であり わたしはあの人を求める 強烈に求めているが 求めなくてもあの人はそこにいる わたしの愛はこれからも宇宙の 時間と空間の果てをいつまでも駆け回るだろう そこでは星が光り、愛らしい花と無邪気な動物達が遊び 心地よい水の音... 続きをみる
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わたしはあなたが好きです わたしはあなたを愛しています 好きですというのは恋でしょう 愛していますというのは愛でしょう 愛の中に恋がある好きなんです 好きなのはわたしがあなたを欲しいんです 一緒にいたいんです 話がしたいんです でも好きは概念で感情なんです 好きは変化していて終わりがあるでしょう ... 続きをみる
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言葉というのは 存在するものやそのことがらの 確かさを意識するためにありますから 愛の言葉も 愛があるときにその確かさを 意識するためにあるのです
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オルガムスは直観だろうか感情だろうか?直観の場合は触覚であり、感情であれば感情は概念の集合からくるのだからその原因は概念である。この判断は難しい。しかし重要である。 オルガムスについてもそうだが、わたしが書いていることは観念論なのだから客観的にどうこうという自然科学や生理学や心理学が問題になるので... 続きをみる
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世界は直観と概念でしかないが概念にも内的と外的がある。 外的な概念とは経験で得られた概念であり内的な概念とは生まれながらに備わっている概念である。 内的な概念とはアプリオリな概念である。 ただ無意識には人類が今まで経験してきた記憶があるはずであり、 それらも個人の経験外にあり我々はそれを持って生ま... 続きをみる
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彼は恋をしたがさまざまな障害があり 決定的な問題もあってその道のりは遠かった 彼女は才能があって可愛いのに 彼は何の取り柄もない普通の男で 気が弱くて傷つくことが怖かった ラブレターを書こうと思ったが常識がためらわせて やっと書いたのは「友達になってください」だった
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直観には内的なものと外的なものがある。 外的直観というのは自分の五識である現在の表象のことである。 映像、音声、体の感覚、味、匂いは各目、耳、体、舌、鼻の表象である。 内的直観というのは生まれながら備わっているところのものである。 これが正しいかどうかは議論の余地はあるだろうが、 直観としての時間... 続きをみる
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自分の体は直接の宇宙であり観察材料としては最も身近なものである。 唯識というのは宇宙は 五識(自分の現在の目に映るもの、自分の現在の耳に聞こえるもの、自分の現在の触覚に感ずるもの、自分の現在の鼻の匂い、自分の現在の舌の味)と 自分の現在の意識、マナ識、アラヤ識(意識は普通の意識、マナ識は無意識、ア... 続きをみる
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手をつないでいっしょに歩いて行こう などという健全な手をつなぐではなく 軽くつないでただ触りあうだけなのです そこにはさまざまな触れ合いがあることでしょう 手は人間の重要な外部認識の触覚ですから あまりに敏感でそんなことはしないでしょうが メスとオスの昆虫が触覚で触りあうようなイメージです
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自分の体は直観であり、五感も直観である 自分の精神は主に概念である。 感情はおもに概念によって作られた記憶の集まりが作り出す疑似の直観である。 記憶の集まりには五感と感情の記憶も含まれる。 感情と概念には密接な関係がある。 客観である自分の体と精神の存在が分かるのはそれらが 直観的に意識されるから... 続きをみる
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二人のくちづけは 欲望の始まりでもなく 情熱でもなく くちびるとくちびるのふれあいのただそれだけ 自分の体自体が触覚ですから 皮膚感覚はもっとも存在の確かさを確信させ 二人はそれをくちびるで確かめるのです 世界が愛に満たされているから それだけでいいのです
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自分が救われる前に他を救おうというのは 心構えを言っただけでそんなことができる訳もない 小さな親切はともかく他人の精神の苦しみを救うことなどはできない 衆生済度の衆生とはたった一人で自分でしかない
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世界が愛に満ちていればなどというのは ほんとお節介なことでどうでもいいのです こういう考えというのはほとんど間違いであって あり得ないとか不可能だからというのでもなく 本人が何かしら誤動作をおこしているのです これは自分に愛がないことを世界に反映しているだけなのです ですから自分に愛が灯れば世界に... 続きをみる
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